2005年 12月 25日
ポール・マッカートニー 全シングル・アルバム 1
ポール・マッカートニー
ビートルズの元メンバーとしてジョン・レノンとのコンビ(レノン=マッカートニー)で代表曲の多くを手がけた。
ビートルズ解散後は、ソロの他、ウイングスのメンバーとして活躍。ビートルズ時代から現在に至るまで、バンドでの演奏では主にベースを担当している。ベーシストとしての評価は非常に高く、彼の弾くメロディアスなベースラインは、後のロックバンドのベーシストに多大な影響を与えたと言われる。
1st 1970.04.17 マッカートニー
ラヴリー・リンダ/ザット・ウッド・ビー・サムシング/バレンタイン・デイ/エヴリナイト/燃ゆる太陽の如く~グラシズ/ジャンク/男はとっても寂しいもの/ウー・ユー/ママ・ミス・アメリカ/テディ・ボーイ/シンガロング・ジャンク/恋することのもどかしさ/クリーン・アクロア
◇ポールのソロ・アルバム第1作。すべての歌と演奏をポールひとりで担当し(ごく一部だけ彼の妻リンダが参加)、自家製の味がぎっしり詰まった作品。当時の期待は高かったが、「Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)」 は、レパートリー中もっとも色あせない魅力を持つ1曲として今なお人気があり、ビートルズ時代のどのナンバーと比べてもひけを取らない。
1971.02.20
アナザー・デイ/オウ・ウーマン、オウ・ホワイ
ビートルズ解散後におけるポール初のソロ・シングルとして発売された。リンダ・マッカートニーがコーラスで参加している。「日」をタイトルとした曲として、ビートルズ時代の「イエスタデイ」からこの「アナザー・デイ」そしてウイングスの「トゥモロウ」に連なっている。
ポールマッカトニーソロ名義 1stシングル
2nd 1971.05.28 ラム
トゥ・メニー・ピープル/3本足/ラム・オン/ディア・ボーイ/アンクル・アルバート~ハルセイ提督/スマイル・アウェイ/故郷のこころ/ モンクベリー・ムーン・デライト/出ておいでよ、お嬢さん- Eat At Home/ロング・ヘアード・レディ/ラム・オン/バック・シート
◇厳密に言えば本作はポール単独のソロアルバムではなく、ポールとリンダ・マッカートニー夫妻のコラボレーション。アルバム全体としてはどことなく奇妙に感じられる。まるで2人が人里離れた農場に少々長居しぎたかのようだ。もちろん、リスナーの期待が問題なのだ。リスナーは世界を揺るがすようなアルバムを待ち望んでいたが、ポールはただ気楽にアルバムを作ろうとして、そういう風に(つまり、気楽に)とらえれば、本作をとことん楽しめる。
1971.09.25
出ておいでよ、お嬢さん/スマイル・アウェイ
ポール・マッカートニーのセカンド・アルバム 『ラム』 からの第2弾シングル。日本限定リリース。
2ndシングル
3rd 1971.12.07 ワイルド・ライフ
マンボ /ビップ・バップ/ラヴ・イズ・ストレンジ/ ワイルド・ライフ /サム・ピープル・ネヴァー・ノウ /アイ・アム・ユア・シンガー/ビップ・バップ・リンク/トゥモロウ/ディア・フレンド/マンボ・リンク
◇富、成功、幸せな結婚生活、そして途方もない才能に恵まれたポール・マッカートニーは、何もすることがなくなって本作 『Wild Life』 を制作した――そんな虚飾に満ちた匂いのために、この興味深いアルバムは長いあいだ嘲笑の的にされていた。
わずか3日間で録音された本作とはいえ、そんな風に叩くのは不当ではないだろうか。ベスト・トラックは、このアルバム全体に影を落とす生々しいバラード 「Dear Friend」 である。ここでポールは、不幸な形で終わったジョン・レノンとの友情と、みずからの作り出した1960年代という時代の終焉(しゅうえん)について歌っている。
1972.03.25
アイルランドに平和を
アイルランドに平和を (version)
ウイングス初のシングルとして、同年2月25日に発売された。またヘンリー・マッカロクを加えた「第2期ウイングス」で最初にレコーディングされた曲でもある
3rdシングル
1972.06.25
メアリーの子羊
リトル・ウーマン・ラヴ
4thシングル
1973.01.20
ハイ・ハイ・ハイ
C・ムーン
5thシングル
4th 1973.05.11 レッドローズ・スピード・ウェイ
ビッグ・バーン・ヘッド /マイ・ラヴ - /ゲット・オン・ザ・ライト・シング/ワン・モア・キッス/リトル・ラム・ドラゴンフライ/シングル・ピジョン/ホエン・ザ・ナイト/ ループ - /メドレー (ホールド・ミー・タイト~レディ・ダイナマイト ~ハンズ・オブ・ラヴ~パワー・カット)
◇バラの花をくわえたポールのジャケット写真を見れば分かるとおり、ポール・マッカートニーのアルバムだがウイングスだ。もう少し具体的に言えば、こぢんまりとした佳曲を「Hey Jude」の規模にふくらませるというポールの70年代の得意技に焦点を当てた作品なのである。もちろん、スケール・アップさえすれば「Hey Jude」のような名曲に仕上がるとは限らないのだが、ポールはそのリスクを恐れなかった。あるいは、リスクの存在に気づいていなかったのかもしれない。
最大の聴きどころは激甘チューンの 「My Love」。マッカートニー夫人の性的魅力をテーマにした、柔らかな雰囲気を持つ陶酔的なバラードだ。アルバムの残りを占めるのは、華麗にプロデュースされた気だるいロック。時に甘く、時にウンザリさせられはするが、ポールらしさは全編にあふれている。
1973.05.05
マイ・ラヴ
ザ・メス (live)
6thシングル
1973.07.20
007/死ぬのは奴らだ
アイ・ライ・アラウンド
7thシングル
1973.12.20
愛しのヘレン
カントリー・ドリーマー
8thシングル
5th 1973.12.07 バンド・オン・ザ・ラン
バンド・オン・ザ・ラン/ジェット/ブルーバード/ミセス・ヴァンデビルト/レット・ミー・ロール・イット/マムーニア/ノー・ワーズ/ピカソの遺言/1985年 Nineteen Hundred and Eighty Five
◇ポールのアルバムとしては5作目、ウイングス名義では3作目にあたる。全英、全米とも1位に輝き、大ヒットを記録した。前にメンバー2人が脱退したため、ポールとリンダ・マッカートニー、デニー・レインの3名で制作された。特にポールは1人で様々な楽器を演奏し、ドラムも叩いている。「バンド・オン・ザ・ラン」をラジオで耳にしたザ・フーのキース・ムーンが 『このドラムを叩いている(すごい)奴は誰なんだ!』 と口にしたエピソードがある。
イギリスのアルバム・チャートでは、リリースから半年以上経過した1974年の7月末から7週連続第1位を獲得し、トップ10内に計46週間もランクされるロング・ヒットとなった。アメリカの「ビルボード」誌アルバム・チャートでは、断続的に4週間第1位を獲得し、トップ10内に32週間ランクされ、1974年度年間ランキング第3位、「キャッシュボックス」誌でも、断続的に4週間第1位を獲得し、1974年度年間ランキング第2位を記録した。アメリカだけで300万枚以上のセールスも記録している。ビートルズ解散後、ポール・マッカートニーが最も成功したアルバムである。
1974.03.20
ジェット
レット・ミー・ロール・イット
9thシングル
1974.07.10
バンド・オン・ザ・ラン
ズー・ギャング(UK pressings)
10thシングル
1974.12.01
ジュニアズ・ファーム
サリー・G
11thシングル
1974.12.02
ウォーキング・イン・ザ・パーク・ウィズ・エロイーズ
A. Walking In The Park With Eloise
B. Bridge Over The River Suite
ザ・カントリー・ハムズ名義
12thシングル
6th 1975.05.30 ヴィーナス・アンド・マース
ヴィーナス・アンド・マース/ ロック・ショー/歌に愛をこめて/幸せのアンサー/磁石屋とチタン男/ワインカラーの少女/ヴィーナス・アンド・マース(リプライズ) /遥か昔のエジプト精神/メディシン・ジャー/コール・ミー・バック・アゲイン/あの娘におせっかい/トリート・ハー・ジェントリー? ロンリー・オールド・ピープル /クロスロードのテーマ
◇ジミー・マッカロク(ギター)が加入し、5人体制で制作されたウイングス4枚目のアルバム。レコーディング開始から間もなくジェフ・ブリトン(ドラムス)が脱退し、後任としてジョー・イングリッシュが加入。ニューオーリンズとロサンゼルスで主にレコーディングが行われ、ライブツアーで演奏されることを強く意識した構成になっている。ニューオーリンズでのレコーディングは、アラン・トゥーサンが所有するシー・セイント・スタジオで行われ、トゥーサンもレコーディングにゲスト参加した。
前作 『バンド・オン・ザ・ラン』 のヒットの勢いを受け、本作も全米1位を記録。予約だけで200万枚を超える大ヒット。アメリカでは1位獲得後、アルバム・チャートのトップ100圏外にランク・ダウンするが、翌年のUSツアーが始まると再び、トップ100圏内にランキング。シングル発売された 「あの娘におせっかい」 も全米1位のヒットを記録した。
1975.06.20
あの娘におせっかい
歌に愛をこめて
13thシングル
1975.11.05
ワインカラーの少女
幸せのアンサー (やさしいアンサー)
14thシングル
1975.12.20
ヴィーナス・アンド・マース/ロック・ショー
磁石屋とチタン男
15thシングル
7th 1976.03.26 スピード・オブ・サウンド
幸せのノック /ザ・ノート・ユー・ネヴァー・ロウト/僕のベイビー /愛の証し/Wino Junko(ジミー・マッカロク/コリン・アレン) /心のラヴ・ソング/クック・オブ・ザ・ハウス/やすらぎの時 - Time to Hide (デニー・レイン)/ マスト・ドゥ・サムシング /サン・フェリー・アン / やさしい気持
◇バンドとしての個性を強調する為、ポール以外のメンバーにも全員それぞれボーカル曲が用意されており、収録曲の半数を占めている。 「ザ・ノート・ユー・ネヴァー・ロウト」「やすらぎの時」がデニー・レイン、「ワイノ・ジュンコ」がジミー・マッカロク、 「マスト・ドゥ・サムシング」 がジョー・イングリッシュ、 「クック・オブ・ザ・ハウス」 がリンダ・マッカートニーによるヴォーカルである。イギリスでは、2位止まりだったが、アメリカでは、全米ツアー中だった事で計7週間第1位に輝いている。
1976.05.20
心のラヴ・ソング
クック・オブ・ザ・ハウス
16thシングル
1976.08.20
幸せのノック
愛の証
17thシングル
ライブ 1976.12.10 ウイングスU.S.A.ライヴ
◆1 メドレー:ヴィーナス・アンド・マース~ロック・ショー~ジェット/レット・ミー・ロール・イット/遥か昔のエジプト精神/メディシン・ジャー/ メイビー・アイム・アメイズド/コール・ミー・バック・アゲイン/レディ・マドンナ/ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード/ 007死ぬのは奴らだ -Live and Let Die◆2 ピカソの遺言/リチャード・コーリー/ブルーバード /夢の人/ブラックバード/イエスタデイ/幸せのアンサー/磁石屋とチタン男/ゴー・ナウ/マイ・ラヴ/あの娘におせっかい ◆3 幸せのノック /やすらぎの時/心のラヴ・ソング/愛の証し/ ワインカラーの少女/バンド・オン・ザ・ラン/ハイ・ハイ・ハイ/ソイリー
◇ワールド・ツアーは26都市で31公演を行い、ツアー全体では約60万人を動員するなど、大きな成功を収めることとなった。 本アルバムはそのアメリカ公演の音源の中からベスト・テイクを編集したもので、ビートルズ・ナンバー5曲を含めた全28曲が、LP3枚組で1976年3月〜5月のウイングスのアメリカ・ツアーの模様を収録している。
1977.03.20
ハートのささやき (live)
ソイリー (live)
18thシングル
1977.12.05
夢の旅人 (UK A-side)
ガールズ・スクール (U.S. A-side)
19thシングル
8th 1978.03..31 ロンドン・タウン
たそがれのロンドン・タウン/セーヌのカフェ・テラス/ アイム・キャリング/なつかしの昔よ/カフ・リンクをはずして/チルドレン・チルドレン/ガールフレンド/別れの時/ しあわせの予感/伝説のグルーピー/子供に光を/ネーム・アンド・アドレス/ ピンチをぶっ飛ばせ/モース・ムースとグレイ・グース
◇1977年2月にロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングを開始。5月からはヴァージン諸島に浮かぶ船で洋上レコーディングが行われたが、帰英後ジミー・マッカロクとジョー・イングリッシュがウイングスから脱退したため、"Girlfriend"や"Deliver Your Chirdren"など何曲かはポールとリンダ・マッカートニー、デニー・レインの3人によって完成した(当時リンダは産休に入っていたため、事実上ポールとデニー)。伝統音楽に関心が深いデニーの影響もあり、トラッド調の楽曲が多い。"Children Children"と"Deliver Your Chirdren"はデニーがリードヴォーカルを担当している。
1978.04.20
しあわせの予感
なつかしの昔よ〜カフ・リンクをはずして
20thシングル
1978.07.20
別れの時
子供に光を
21stシングル
1978.11.05
たそがれのロンドン・タウン
アイム・キャリング
22ndシングル
1979.04.20
グッドナイト・トゥナイト
デイタイム・ナイトタイム・サファリング
23rdシングル
9th 1979.06.20 バック・トゥ・ジ・エッグ
レセプション/ゲッティング・クローサー/今宵楽しく /スピン・イット・オン/アゲイン・アンド・アゲイン・アンド・アゲイン/オールド・サイアム・サー/アロウ・スルー・ミー/ ロケストラのテーマ /君のために /アフター・ザ・ボール~ミリオン・マイルズ/冬のバラ〜ラヴ・アウェイク /ブロードキャスト /ソー・グラッド/ベイビーズ・リクエスト
◇ウイングスのラストアルバムであり、オリジナルアルバムとしては7枚目にあたる。アメリカではこのアルバムからビートルズ時代から在籍したキャピトル・レコードを離れて、CBS配下のコロムビア・レコードに移籍した。 新メンバーのローレンス・ジュバー(ギター)、スティーヴ・ホリー(ドラムス)は、このアルバムのみの参加となってしまった。 プロデューサーには、ピンク・フロイドやエルトン・ジョンなどを手がけたクリス・トーマスを起用。
1979.07.20
ゲッテイング・クローサー
スピン・イット・オン
24thシングル
1979.10.20
アロウ・スルー・ミー Arrow Through Me
Old Siam, Sir
25thシングル
1979.11.20 ウィングス グレイテストヒット Wings Greatest
Another Day アナザー・デイ
Silly Love Songs 心のラヴ・ソング
Live and Let Die 007 死ぬのは奴らだ
Junior's Farm ジュニアズ・ファーム/
With a Little Luck しあわせの予感
Band on the Run バンド・オン・ザ・ラン
Uncle Albert/Admiral Halsey アンクル・アルバート/ハルセイ提督
Hi Hi Hi ハイ・ハイ・ハイ
Let 'Em In 幸せのノック
My Love マイ・ラヴ
Jet ジェット
Mull of Kintyre 夢の旅人
※ウイングス解散後 ソロに
1979.11.01
ワンダフル・クリスマスタイム
赤鼻のトナカイ
26thシングル
1979.12.03
ワンダフル・クリスマスタイム
赤鼻のトナカイ (レゲエバージョン)
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by cress30 | 2005-12-25 06:30 | ◆ポール・マッカートニー