2015年 08月 18日
歴代世界洋楽シングルランキングベスト10
世界洋楽シングルランキングベスト10
第1位 (White Christmas)
ビング・クロスビー(Bing Crosby)
1942年7月30日発売
ホワイト・クリスマス
★★推定売り上げ 5000万枚
右のジャケ写は日本発売時のジャケと初版SP盤レーベル
「ホワイト・クリスマス」 は、古風なクリスマスの情景の思い出を歌ったアーヴィング・バーリン作詞・作曲のクリスマスソング。
ビング・クロスビーが歌ったバージョンは、歴代で最もよく売れたシングルとされているこの歌を最初に発表したのはビング・クロスビーであり、クロスビーをホストに据えたNBCのラジオ番組『The Kraft Music Hall』の1941年のクリスマスの放送でこの曲を歌ったが、その際の音源は残っていないとされる。
1942年5月29日、クロスビーは、ジョン・スコット・トロッターの楽団、ケン・ダービー・シンガーズと一緒に、この曲をデッカ・レコードで録音し、映画 『スイング・ホテル』 で使用された6曲を集めたSP盤のアルバムに収められて7月30日に発売された。(右ジャケ写とレーベル)
当初、クロスビーはこの歌について、特に何とも思っていなかった。クロスビーはバーリンに「この曲には何も問題はないよね、アーヴィング」と言っただけだったという。
クロスビーの「ホワイト・クリスマス」は5000万枚のシングル盤売り上げがあるとされ、世界最高とされている。
第2位 (Rock Around The Clock)
ビル・ヘイリーと彼のコメッツ (Bill Haley & His Comets)
1954年9月20日発売
ロック・アラウンド・ザ・クロック
★★推定売り上げ 2500万枚
右は日本発売の初回ジャケ写。何度かデザインが替えられたパターンもある。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」 は、ロックンロールの最初で最大のヒット曲とされ、ギネス・ワールド・レコーズの認定に、世界中で通算2500万枚(推定)を売り上げたとされる。
映画 「暴力教室」 のオープニングに使用されたこの曲は、1955年のビルボードチャートで8週連続1位という大ヒットを記録する。
これをきっかけに、それまでポピュラー音楽の中でもマイナーな存在だったロックンロールがブレイクし、アメリカをはじめとする世界中の若者の間に大ブームを巻き起こした。この後ヘイリーはスマッシュヒットも出すが、やがてエルヴィス・プレスリーらの、より若く刺激的なロックンロール・スターの登場により人気に陰りがでる。
晩年、1960年代以降は主にヨーロッパやブラジルなど海外を中心に活動していたが、1970年代にはアルコール中毒に陥って脳腫瘍を患い、1981年に死去した。1987年に「ロックの殿堂」入りを果たす。
第3位 (We Are The World)
USAフォー・アフリカ (USA for Africa)
1985年3月28日発売
ウィー・アー・ザ・ワールド
★★推定売り上げ 2000万枚
アメリカ盤は7インチドーナツだったが、日本盤は12インチシングルでリリースされた。
1984年、ボブ・ゲルドフの呼びかけでイギリスのスーパースターたちが集まり、アフリカの飢餓救済のためのプロジェクト「バンド・エイド」を結成。大きな話題を呼び、チャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」が大ヒットする。
これに触発された形でハリー・ベラフォンテがアメリカで同様のプロジェクトを作ることを提唱する。呼びかけたのはまずライオネル・リッチー。そこからマイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら数々の大物アーティストが芋づる式に呼びかけに応じ、最終的に集まったアーティストは45人に達した。もちろん無償である。
【パイオニアLD盤】
マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で曲を書き、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの下、1985年1月28日にレコーディングが開始された。プロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルとアメリカ合衆国の略称とのダブルミーニングで「USAフォー・アフリカ」と名付けられ、3月8日、「We Are The World(ウィー・アー・ザ・ワールド)」をリリース。世界的な話題を呼んだこの曲は瞬く間に世界各国でチャート1位を記録した。
日本では、通常盤と12インチ盤が分散されたこともありオリコン週間シングルチャート最高位は第2位にとどまった。
第4位 (If I Didn't Care)
インク・スポッツ(The Ink Spots)
1939年9月18日発売
イフ・アイ・ドント・ケア
★★推定売り上げ 1900万枚
アメリカのヴォーカル・グループで1930~1940年代に活躍した。1900万枚もの大ヒットを記録した。
その後40年代初頭に立て続けにヒットを飛ばすが1943年にメンバーのBernie MackeyがCharlie Fuquaと入れ変わる形で脱退。
1944年にはHoppy Jonesが死亡するなど陰りが見え始める。
その後グループは分裂、54年にビル・ケニーはオリジナルのインク・スポッツの解散を宣言した。
日本ではSP盤()で2万枚程度が流通した。
第5位 (YES,SIR I CAN BOOGIE)
バカラ(Baccara)
1977年6月5日発売
イエス・シェア・アイ・キャン・ブギ
★★推定売り上げ 1700万枚
スペイン女性二人のデュオ。英語で歌った 『YES,SIR I CAN BOOGIE(魅惑のブギー)』 は77年、ディスコサウンドに乗せヨーロッパで大ヒットした。70年代のユーロ・ディスコを語る上で絶対に欠かすことの出来ない名曲が、「誘惑のブギー」(Yes Sir, I Can Boogie)。
もちろん、ヨーロッパ産ディスコというのは、彼女たちの登場以前から存在はしていた。ミュンヘン・サウンドの立役者であるジョルジョ・モロダーが手掛けたドナ・サマー、ユーロ・ディスコ界最大の商売人フランク・ファリアンの手掛けたボニーMなどはその代表例だろう。しかし、彼らの作品は明らかにアメリカのディスコ・ミュージックの影響を強く受けていた。つまり、黒人音楽をベースにしながらヨーロッパ的なアプローチを試みていたものと言える。
ディスコという特殊な空間に相応しい最先端のダンス・ミュージックが求められるようになったのだ。ディスコは、新しい音楽の発信源となった。
第6位 (My Heart Will Go On)
セリーヌ・ディオン(Celine Dion)
1997年12月8日発売
マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン
★★推定売り上げ 1600万枚
超大作映画 『タイタニック』 の主題歌。
元々は1997年のセリーヌ・ディオンのアルバム 『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』 でリリースされ、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど世界各地でナンバーワンを記録した。
オーストラリアとドイツ、その他の国では1998年にシングルでリリースされた。日本盤は独自の3インチCDでリリースされる。
セリーヌ・ディオンの最もヒットした曲となり、また歴史上最も売り上げたシングルの一つでもある。
ユナイティッド・ワールド・チャートで世界中でチャートトップに達した他、アメリカのビルボード・ホット100で初登場2週間連続1位を記録したにもかかわらず、ビルボード・ホット100エアプレイでも10週間連続1位を記録した。
また、ホット100シングル・セールス部門でも2週間連続1位。
第7位 (I Will Always Love You)
ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)
1992年11月3日発売
オールウェイズ・ラヴ・ユー
★★推定売り上げ 1500万枚
アメリカ人のシンガーソングライターのドリー・パートンが1974年にリリースした楽曲。1992年にホイットニー・ヒューストンがカヴァーし、映画 『ボディガード』 の主題歌として使用される。
ホイットニー・ヒューストンは、自身が主演でケビン・コスナーと共演した映画 『ボディガード』 の主題歌として、オリジナル・サウンドトラック収録されている。
曲調はもとのカントリー・ミュージックからバラード調になっており、曲の性格も大幅に異なっている。再生時間も約倍近くになっているのも特徴である。間奏のテナー・サックスソロはカーク・ウェイラムによるもの。
映画内で警護対象のレイチェル・マロンとして出演しているホイットニーが歌うこの曲が効果的に使用されていて、1992年11月にシングル発売以降、ビルボード・ミュージック・アワードをはじめ、グラミー賞、アメリカン・ミュージック・アワード、ワールド・ミュージック・アワード、MTVムービー・アワードなどの賞を総なめにした。
1993年1月にはアメリカ国内売り上げが400万枚、イギリス国内売り上げが130万枚に達したり、日本は180万枚を記録。全米シングルチャートで14週連続1位と言う記録も樹立している。サウンドトラックが全世界で4200万枚を売り上げるなど、一大ヒットを記録した。
日本盤シングルヴァージョンは4分31秒で、アメリカ盤のマキシ盤は4分52秒。
第8位 (SUKIYAKI)
1961年10月15日発売
スキヤキ(上を向いて歩こう)
★★推定売り上げ 1400万枚
スキヤキ(上を向いて歩こう)は、坂本九の楽曲。
作詞が永六輔、作曲は中村八大のコンビで日本が世界に誇れる曲。ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日付に、現在においても日本人のみならずアジア圏歌手唯一となる週間1位を獲得。同誌の年間ランキングでは第10位にランクイン。多くのアーティストによってカバーされている。坂本九の航空機事故死のメモリアルソングとしても歌い継がれている。
1962年、ヨーロッパでこの曲が紹介され、大ヒットした。フランスなどでは原題と同じ意味のタイトルで発売され、イギリス、ベルギーやオランダでは「SUKIYAKI」と改題をされた。イギリスのディキシーランド・ジャズのトランペッター、ケニー・ボールが彼のバンドでインスト曲として演奏し全英チャートで10位にランクインした。
「SUKIYAKI」という曲名は、ケニー・ボールの所属したイギリスのパイ・レコードの社長が契約の話で来日した際、土産にもらった数枚の日本のシングルレコードをホテルに帰ってから聴いた中にあった「上を向いて歩こう」を気に入り、帰国後ジャズでリリースすることに決めた。その際レコードには日本語のタイトルしか印刷されておらず、原題の「上を向いて歩こう」のタイトルがわからず、日本で契約の際に会食した「スキヤキ」が心に残る食べ物だった、という理由で日本料理の名前を付けたものだと言われている。
ケニー・ボールの証言は、「上を向いて歩こう」はタイトルが長すぎるので短くわかりやすい日本語の曲名をつけたかった。知っていた日本語が「SUKIYAKI」と「SAYONARA」ぐらいだったため、「SUKIYAKI」にしたとのこと。
なお原題の英語での直訳は「I LOOK UP WHEN I WALK」で特段長いタイトルではない。
第9位 (I Want To Hold Your Hand")
ザ・ビートルズ(The Beatles)
1963年11月29日発売
抱きしめたい
★★推定売り上げ 1300万枚
ビートルズが発表した5枚目のオリジナル・シングル曲。。ボーカルはジョン・レノンとポール・マッカートニー。
すべての楽器がリフをキメるダイナミックなイントロから始まり、中間部(ブリッジ)は、1回目がユニゾン、2回目はジョンがメロディを歌い、ポールがその上のハーモニーをつけている。 曲調はアメリカ的なゴスペルを意識したものであり、結果的にはこの曲でアメリカ市場を席巻することになった。
ビルボード誌では、1964年2月1日に週間ランキング第1位を獲得。同1964年年間ランキングでも第1位。また、キャッシュボックス誌では、8週連続第1位を記録し、年間でも第1位となっている。前作のシングル「シー・ラヴズ・ユー」と共に、彼らの人気を決定づけた曲でもある。
日本においては、1964年2月5日にデビューシングルとして発売された(東芝音楽工業オデオン・レーベル・OR-1041)。東芝音楽工業では当初、「プリーズ・プリーズ・ミー」を日本でのビートルズのデビュー曲に決めていたが、アメリカでの熱狂ぶりを考慮して急遽発売が前倒しされた。
そのため1964年発売当時のレコード番号は「プリーズ・プリーズ・ミー」の方が若い(OR-1024)。
また既にジャケット等の印刷が始まった後でリリース順が変更されたことから、初期ロットの一部にはジャケットの差し替えが間に合わず「プリーズ・プリーズ・ミー」を第1弾シングルとして掲載しているものがある。
第10位 (All I Want for Christmas Is You)
マライア・キャリー(Mariah Carey)
1994年10月15日発売
恋人たちのクリスマス
★★推定売り上げ 1200万枚
アメリカのマライア・キャリーとウォルター・アファナシエフによって製作された楽曲。
ハンド・ベル、バック・コーラス、シンセサイザーを使用しポップな曲調に仕上げた。
1994年発表の5作目アルバム『メリー・クリスマス』からのファースト・シングルとして1994年12月にリリースされ、音楽チャートでトップ10入りのヒットを記録した。
日本では、この曲がテレビドラマ『29歳のクリスマス』に主題歌として起用され大ヒットを記録。洋楽シングルとしてはオリコンチャート史上、2例目のミリオンセラーを達成し、(1例目はダニエル・ブーンの『ビューティフル・サンデー』)130万枚を売り上げた。
日本公演では未だにアンコールで歌われる人気を維持している。
第11位 1956年7月13日発売 ハウンド・ドッグ/エルヴィス・プレスリー (Hound Dog/Elvis Aron Presley)
プレスリーのシングル。ビルボード誌チャート11週連続1位という驚異的な記録を出し年間ランキングも第1位。
売り上げ枚数は1100万枚。
日本では60万枚ほど売れた(右ジャケ)
by cress30 | 2015-08-18 13:39 | ■歴代世界洋楽アルバム