2002年 10月 08日
ピンクレディー全シングル
ピンク・レディーが「解散やめ!」宣言
これまで何度か期間限定“復活”してきた人気デュオ、ピンク・レディーが1980年9月1日の解散宣言からちょうど30年後の1日、本格的活動再開を発表した。
デビュー曲「ペッパー警部」のレコーディングを行ったビクターステジオ(渋谷区神宮前)で「解散やめ!」会見が開かれ、ケイは「30年間解散しておりましたが、本日をもって解散を解消し、ソロ活動とともにピンク・レディーとして活動していくことを2人で決めました」と報告。
ミイも「まさか50歳を過ぎて、こんなミニスカートで歌うとは思いませんでした」と苦笑しながら新たな決意をのぞかせた。
ピンク・レディー
1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミー(現:未唯mie、本名:根本美鶴代、A型、静岡県静岡市葵区出身) とケイ(現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、O型、静岡県静岡市葵区出身)の2人組。
1981年3月31日、みぞれ交じりの雨が降り続く中、後楽園球場でピンク・レディーは解散。
数度の限定活動を経て2010年9月1日、「解散やめ!」を宣言して活動再開を表明。
ピンク・レディー& ME・ケイ 全シングル
1976.08.25
ペッパー警部/乾杯!お嬢さん
★最高位 4位
デビュー・シングル。第18回日本レコード大賞新人賞受賞。 当初はレコード会社側の意向でB面に収録されている「乾杯お嬢さん」の方がA面になる予定だった。
1976.11.25
S.O.S/ピンクの林檎
★最高位 1位
ピンク・レディー初のオリコン1位獲得作品。 オリジナルでは、曲の冒頭部分に本物のモールス信号の遭難信号)が効果音として使われていたため、冒頭カットの電波法規定に従って行われた。
1977.03.10
カルメン’77/パイプの怪人
★最高位 1位
5週連続オリコンチャート1位の座を獲得した、ピンク・レディーの3枚目のシングル。売上枚数は110万枚。
1977.06.10
渚のシンドバッド/パパイヤ軍団
★最高位 1位
驚異的な売上を記録し、1977年のオリコン年間シングルチャートは本作が1位を獲得。145万枚の売上でデビュー曲以降3作連続でミリオンセラーを記録。
1977.09.05
ウォンテッド/逃げろお嬢さん
★最高位 1位
12週連続オリコンチャート1位の座を獲得。 オリコンで、前作の「渚のシンドバッド」に続き、自身二作連続二度目のミリオンセラーを記録。
1977.12.05
UFO/レディーX
★最高位 1位
10週連続オリコンチャート1位の座を獲得し、オリコンは 「渚のシンドバッド」 「ウォンテッド (指名手配)」 に続き三度目のミリオンセラー。 この曲で第20回日本レコード大賞を受賞。
1978.03.25
サウスポー/アクセサリー
★最高位 1位
9週連続オリコン1位を獲得。「渚のシンドバッド」、「ウォンテッド (指名手配)」、「UFO」につづいて、この曲で4度目、4作品連続ミリオンセールスを記録。 第9回 (1978年) 「日本歌謡大賞」 受賞。
1978.06.25
モンスター/キャッチ・リップ
★最高位 1位
8週連続オリコンチャート1位を獲得。 本作でもミリオンセールスを記録。ピンク・レディーにとっては、この曲で5度目、5作品連続でのミリオンセールス。
1978.09.09
透明人間/スーパーモンキー孫悟空
★最高位 1位
通算4週オリコンチャート1位を獲得したが、オリコン上でのミリオンセールスは達成できなかった。
1978.12.05
カメレオン・アーミー/ドラゴン
★最高位 1位
6週連続オリコン1位を獲得。 フライング発売された分、初登場88位→翌週1位という87ランクアップ記録を達成した。10枚目。
1979.03.09
ジパング/事件が起きたらベルが鳴る
★最高位 4位
2作目の 「S・O・S」 以来連続1位の座はこの曲では獲得できず最高4位止まり。これ以降発表したシングルでも1位の座は獲得できなかった。
1979.05.01
ピンク・タイフーン/ハロー・ミスター・モンキー
★最高位 6位
アメリカのミュージシャングループ、ヴィレッジ・ピープルのヒットソング 「In The Navy」 のカヴァー曲。
1979.07.05
波乗りパイレーツ/波乗りパイレーツ(U.S.A.吹込盤)
★最高位 4位
B面収録のU.S.A.吹込盤は米国で録音された。オリコンランキングに、ピンク・レディーの曲が10位以内にランクされるのは、これが最後。
1979.09.05
キッス・イン・ザ・ダーク/WALK AWAY RENEE
★最高位 19位
日本以外で1979年5月1日にワーナー・ブラザーズより世界40カ国で同時発売されている全て英語による曲。アメリカに進出したピンク・レディーにとって全米デビュー第一作で全米ビルボードで最高37位を記録。
1979.09.09
マンデー・モナリザ・クラブ/アダムとイブ・スーパーラブ
★最高位 14位
ロサンゼルスでレコーディングが行われ、前作 「KISS IN THE DARK」 (日本発売盤)から僅か4日後にリリースされた。
1979.12.05
DO YOUR BEST/愛しのニューオリンズ
★最高位 36位
この曲は1980年に開催されたモスクワオリンピックに出場予定だった日本選手を応援する曲だったが、日本がモスクワオリンピック不参加を表明したことによりそうした意味合いが消滅した。
1980.03.05
愛・GIRI GIRI/秘密のパラダイス
★最高位 59位
当時、ピンク・レデイーはアメリカ進出中で、この曲が日本のテレビではあまり歌われることがなかった。
1980.05.21
世界英雄史/ザ・忠臣蔵'80
★最高位 45位
ナポレオン 、シーザー 、始皇帝 、ジンギスカンなど、歴史上の著名な世界各国の英雄たちが曲中に登場する18枚目のシングル。
1980.09.21
うたかた/BY MYSELF
★最高位 48位
1979年9月1日に解散記者会見が行われ、その後解散までにシングル4枚発表されたうちの最初のシングル。コンサートツアー「さよならコンサート」の最中にリリースされた。
1980.12.05
リメンバー/カトレアのコサージ
★最高位 86位
この曲は1980年公開のアメリカの大ヒット映画 『フェーム』 (en) でアイリーン・キャラが歌った同名の主題歌の日本語でのカヴァー。
1981.01.21
Last Pretender /AMENIC(逆回転のシネマ)
★最高位 85位
この曲は発売されてから一度もテレビで歌われたことがない21枚目のシングル。
1981.03.05
OH!/夢中がいちばん美しい
★最高位 46位
この曲がリリースされた後、1981年3月31日をもってピンク・レディーは解散した22枚目のシングル。この曲を以ってピンク・レディーは約4年7ヶ月の活動に終止符を打った。
1984.06.21
不思議LOVE/悲しみのシルエット
再結成後 ピンク・レディーとして3年ぶりのシングル発表。
1990.01.01
2年目のジンクス(OH! STEP)/ポロロッカ
再々結成 ピンク・レディーとして6年ぶりのシングル
1996.11.21
PINK EYED SOUL/BEST PARTNER
再々々結成 ピンク・レディーというか、同窓会としての新曲
2003.05.02
テレビが来た日/モンスターウェーブ
再々々々結成の限定付きだった ピンク・レディーのとしての新曲
未唯 (MIE)全ソロシングル
未唯 (MIE)1981.07.05 ブラームスはロックがお好き
未唯 (MIE)1982.02.05 モア・モア
未唯 (MIE)1982.08.25 コールガール -夜明けのマリア
未唯 (MIE)1983.03.21 窓辺から
未唯 (MIE)1983.08.21 シャンプー
未唯 (MIE)1984.04.05 NEVER
未唯 (MIE) 1984.10.21 灰とダイヤモンド
未唯 (MIE) 1985.03.21 鏡の中の女
未唯 (MIE) 1986.01.22 Dreamer
未唯 (MIE) 1986.04.21 昼顔恋話
未唯 (MIE) 1988.04.25 いまが、Choice
未唯 (MIE) 1990.04.25 おとなどおし
未唯 (MIE) 1990.10.01 ジンクス
未唯 (MIE) 1991.04.25 平成粋女・艶男
未唯 (MIE) 1994.04.15 キティとダンス!
未唯 (MIE) 1995.11.25 LOVE JAIL.
未唯with XYZ→A 1997.06.20 NOBODY KNOWS BUT HEAVEN
未唯 2006.10.05 SOAR 〜まだ見ぬ空へ〜
増田ケイ子 ソロ全シングル
増田ケイ子 1981.11.28 すずめ
増田ケイ子 1982.06.12 ためらい
増田ケイ子 1982.10.09 らせん階段
増田ケイ子 1984.05.21 女優
増田ケイ子 1985.08.21 FU・RI・NE
増田ケイ子 1989.10.25 哀色の印象~AVEC LE FEU~
増田ケイ子 1990.08.25 運命が変わる朝
増田ケイ子 2005.12.07 奇蹟の花~Je t'aime~
by cress30 | 2002-10-08 06:20 | ●ビンクレディ