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岡田有紀子 自殺の真相2

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女性週刊誌記者を九年勤めた後、梨元勝がテレビの芸能リポーターに転身したのは昭和五十一年。いまから十年前のことである。まもなく二十年になるその取材活動の中で、彼が自殺事件を取材するのは三度目だった。

一度目は昭和五十三年十二月二十八日に起きた俳優・田宮二郎の「猟銃自殺事件」。二度目は同五十八年六月二十七日、俳優・沖雅也による「飛び降り自殺事件」である。そして三度目のニュースは、さる昭和六十一年四月八日の午前十一時五十分、彼の耳に飛び込んできた。

その第一報は警視庁記者クラブからで「歌手の岡田有希子が南青山の自室で手首を切り、ガス栓をひねって自殺未遂!」というものだった。

それを彼は日本テレビのスタジオで聞いた。しかし、この段階ではまだ梨元勝は平静だった。
それは「未遂」という二文字があったからという理由からではない。

「岡田有希子」というタレントについて、彼がさしたる認識を持っていなかったためである。「自殺未遂」という言葉には敏感に反応しながらも、彼の脳裏ではその顔と名前がすぐに一致しなかった。

 「岡田有希子ってどんな娘だったっけ?」

梨元勝の質問に若いスタッフの一人が答えた。

「ほら、一昨年のレコード大賞新人賞をとった歌手ですよ。サンミュージックが“ポスト聖子”と言って売り出したコ……」

その言葉に、彼は即座に反応した。

「そりゃ大変だ。サンミュージックならば秘書室の直通番号を知ってるよ。うん、とにかく電話してみよう」

使い古されたアドレス帳を開くと、彼はすぐにその番号を回した。ところが顔見知りの相沢秀禎社長は歯医者に行っていて不在との返事だった。困惑気味の社長秘書に「自殺未遂」の事

実を確認すると、

「いや、それはガス管が古くなっていて、ガス漏れしたんです……」

という答えが返ってきた。

しかし、そんなワケはない。警視庁からの第一報は「自殺未遂」
である。梨元は「そうですか」と応えながらも、相手の次の言葉でピンときた。
「社長も帰ってきますし、本人もたいしたことはなくて、まもなく病院から事務所に帰ってき
ますから……」

 これは、やがて社長の口から何らかの説明が行なわれるということのようだ。

彼はサンミュージックに直行することにした。他のスタッフは彼女が運ばれたという北青山
病院に急行した。

千代田区二番町の日本テレビから新宿区四谷四丁目のサンミュージックまでは、車で十分足
らずである。ハイヤーに飛び乗った梨元の胸中は、まだ平静だった。「未遂」という二文字が
事件の衝撃性を多少なりとも弱めていた。

車は渋滞気味の新宿通りを進み、四谷三丁目の交差点を越えて、まもなくサンミュージックの入っている「高橋・大木戸ビル」が見渡せる地点まで来た。四谷四丁目の信号機が青に変わり、交差点を右折すれば目的地だ。しかし昼休みという時間帯でも渋滞するこの通りでは、もう一度信号機にひっかかるかもしれない。

そう思いながら彼は何気なくビルのある角地を見た。
 その時である。救急車のサイレンが彼の耳に響いた。いや、目をこらして見るとそれは救急
車ではなく、捜査の車だった。そして、ものすごい数の人だかり。

「いったい何だろう……」

 彼の心臓の鼓動が急に高まった。

「運転手さん、ここで降ります」

 彼は渋滞する道路を横切って、その場に駆けつけた。毛布が被せられた遺体のようなものが目に飛び込んだ。路上に血のようなものが溢れ、勾配に添ってこちらに流れて来る。彼を見つけて、現場で待ち合わせていたカメラマンがかけよって来た。

「いやあ、スゴイんですよ」と興奮気味に語るカメラマンも、毛布の中身が男性なのか女性なのかもまだわかっていないらしい。肩にかついだカメラはまだ作動していなかった。

「女性マネージャーらしい……」というディレクターの一言が耳に入った。

「よしッ、ここから回そう!」

打ち合わせる間もなく、その遺体を背にVTRがスタートされる。とっさに腕時計を見て、彼はしゃべり始めた。

「えー、いま現在、十二時三十五分になります。僕はいま、この四谷の交差点のところにあるサンミュージックのビルの前にいます。いま着いたんですけど、状況が詳しくわかりません。どうもマネージャーの人が飛び降り自殺したという状況のようです。いま、ディレクターが確認してますので……」

カメラが毛布からはみ出て、こちらに流れてくる鮮血をとらえる。「捜査」という腕章が彼の目に飛び込んだ。三人の捜査官が飛び散ったピンクの固体を弁当屋のビニール袋に採取している。

その横でサンミュージックの溝口伸郎マネージャーが呆然とした表情で立ちつくしている。白バイ姿の警官がピンクの紐を張り、人混みの整理を始めた。その情景をカメラがなめてゆく。

「僕もいろいろ取材してますけど、直接の現場と言いますか、こういうところに来たのは初めてです。ちょっと足のところと言いますか、スカートが……しかし細かいことはわかりません」

息を切らしながら、そこまで一気にしゃべると、彼は人混みをかきわけて角の公衆電話にかけよった。ディレクターが局のデスクに確認をとっている。その受話器をとりあげると、彼は早口で相手に聞いた。

「で、どんな感じなの。うん、だから、誰が自殺したの?」

同時にカメラマンに言った。

「そのまま回して!」

電話の向こうでも正確な情報は確認できていないようだった。

「もしもし、いまフィルムを回してますが、誰が亡くなったということなの、これは」
 
相手も早口で答える。

「あ、マネージャーかもしれないということ……あ、そう、わかりました。ハイ、どうも。すいません、ハイハイ、どうも」

受話器を置くと彼は横にいるディレクターと一瞬、目を合わせた。そのディレクターが残りの十円玉を取り出し口から戻している様子までカメラがとらえている。彼らはピンクのロープを乗り越えて、ビルの入り口に向かった。

この時点での梨元は、入手している情報から次のような状況判断をしていた。まず「岡田有希子の自殺未遂事件でマネージャーが責任をとって飛び降りた」。

そして「病院から戻った岡田有希子本人が上にいる」、つまりやがてはこの間の事情説明がとれるだろうという判断である。

「えー、このままですね、映りにくいかもしれませんが……六階のサンミュージックでまず確認をとってみます」

エレベーターが開いて、飛び乗った彼は六階のボタンを押しながら、同乗したカメラマンとの質疑応答もそのまま収録させた。

「いま、すぐだったの。何時ごろだったかわかる? 来た時は」

彼より先に現場に到着していたカメラマンがファインダーをのぞきながら答える。

「あのう、二十分ぐらいだったと思います」

点滅する階数表示盤を目で追いながら、さらに梨元が聞く。

「その時にはどんな状態だったの?」

「梨元さんと会う約束になってましたよね。そして来てみたら、もうとにかく人だかりがあって、中に人が倒れているわけです。そこであわてて車を止め直して。そしたらすぐ救急隊が来まして、例のシートをかけたわけです」

「じゃあ、その前の飛び降りるところは見てなかったわけね。それで女性だったんですか?」
「女性でした。黒い服、着てました」

 エレベーターが五階を通過する。梨元はしゃべりつづけた。

「マネージャーではないかという話なんですが……とにかく細かい状況はわかりませんので、いま上で聞いてみようと思います」

ドアが開いた瞬間、開け放しの事務所内の騒然とした光景が目に入った。全員が一斉にこちらをふりむく。その中心にいる相沢秀禎の目と目が合った。

「あ、相沢さん。すいません、どんな状況か、ちょっとわからないので」
 
相沢は瞬間的に「ハイッ」と応えた。

「あ、ちょっと、いまは……」

事務所の若いスタッフがあわてて扉を締めようとする。

梨元の声が自然と大きくなる。

「だから状況だけ、ちょっと教えて下さい。ちょっとだけ、一言ですぐに終わりますから」

締まりかけた扉の向こうで背をそらしながら相沢が応答した。

「あ、それじゃ、いま、ちょっと待って。すぐ行きますから」

相沢の声を聞きながら、梨元はふりむいて後方にある社長室のドアにかけよった。そのまま勢いで開けると取材メモを持った記者風の男が立っていた。報知新聞の細貝記者である。まんざら知らない仲でもないが、興奮状態の中で思わず質問が敬語になってしまう。

「あ、すいません。どんな状況だったかわかりますかねェ」

一拍おき、小声で質問をつづけた。

「誰が自殺したんですか?」

思いがけない答えが返ってきた。

「岡田有希子ですよ……」


彼は即座に質問をつづけた。

「あ、ここに来て、もう一回、飛び降りたわけですか?」

細貝記者がうなずいた。瞬間、彼はもうカメラのほうにふりむいて状況を語りはじめていた。

「えーとですね、再度、もう一度ここへ来て。ですから病院から戻ってきて、飛び降りたということです。岡田有希子本人ということです。すみません、先程のマネージャーというのは間違いでありまして、本人ということですが……」

この間、早口で知られる梨元の語りは止まることなくつづいている。この時の模様はそのまま当日の『うわさのスタジオ』でオンエアされた。番組終了後に何人かのスタッフから彼は同じ感想を言われた。

いずれも

「梨さん、あの時はひじょうに冷静だったね」というものだった。しかし本人の心中はちがっていた。「自殺したのは、岡田有希子本人……」

という事実はあまりにも強烈だった。

ドラマの効果で例えるならば、画面が一瞬真っ白になるような感じすら覚えた。ところが頭のどこかで「カメラが回っている」という意識があった。

「えッ」と驚きながらも、彼の脳裏で

「次の瞬間、ふりむいて説明しなければ……」という意識が働いた。

それでも「あそこにもっと驚きがないの?」とスタッフたちから言われると、

「いや、ちがうんだ」という気がする。

たとえば「森進一と森昌子が結婚!」とか「神田正輝と松田聖子が結婚!」というニュースのほうが単純に驚けると彼は思った。それは多少なりとも予測されていたケースであり、

「やっぱり」という事実の確認である場合が多いからだ。

が、この人気アイドルの自殺は、芸能リポーター十年選手の彼にもあまりに唐突すぎた。

「電撃結婚!」といった類いのニュースに対する驚きとは違った、もうひとつ大きな、もうひとつ向こうに突き抜けてゆくような衝撃であった。しかも現場とその遺体を自分の目で目撃した直後である。その情景と「岡田有希子本人」という事実が結びついた瞬間の彼の驚きはいうまでもないだろう。

しかし、十年選手のリポーターは次の瞬間にこう思った。「この状況を全部カメラにおさめなければならない」。この職業意識が彼を部屋の中へと招き入れた。彼の目が既に福田時雄専務の姿をとらえていた。

「ちょっと、このまま、すみません」

目でカメラマンに合図すると、彼は福田専務のデスクに近寄った。

「すいません、福田さん、申し訳ありません。いったん病院から彼女、戻ってきたわけですか?」

突撃インタビューである。その勢いの中で相手も思わず答えていた。

「ええ、僕が連れて帰ってきたんです、ハイ」

「その時はどんな状態だったんですか?」

「割におちついてました、ハイ」

「あ、そうですか。それで……」

「そのまま社長の部屋に入れて、それで付き人の女の子と僕と三人でいろんな話をしてたわけです。割に、本人、素直にうなずいていたんですけど……。それでちょっと僕は電話をかけるんで出てまして、そのスキに付き人の目を盗んでいなくなって。僕が電話してるところに付き人が震えて『有希子がいないッ』と。で、捜したら、屋上の入り口にスリッパが置いてあったんです。そこで、屋上を捜しておったんです。そしたら、下で大騒ぎになりまして……」

「それじゃ、それは、いまからちょっと前ですか?」
「えぇ、十二時二十分ぐらいですかね」
「ハハァ、ところで何でもそのォ、南青山の自宅で手首を切って、ガス栓をひねったという……」

「ええ、そういう話を……それで北青山病院に行って、傷はたいしたことないということなので、連れて帰ってきたわけです」

「ハハァ、それでこっちへ帰ってきたのは十二時ごろですか?」

「十二時ちょっと過ぎぐらいですね」

「で、本人はどんなふうに話してました?」

「いや、割りに車の中では何も。タクシーですから……」

ここで女性の声で内線電話が入った。が、福田専務は「ちょっと待って」とふたたび話をつづけた。
「それでここに入れましてから、『昨日は何時に帰ってきたの?』などと聞いてたんですけど、『昼間、映画を観た』とか『家には十時ごろ帰ってきた』とか、そんな話をしてましたので……。

それで、『ま、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ』と言いましたら、うなずいていたんですよね」

外の気配を感じて、梨元はさらに早口で聞いた。

「あのォ、何に、悩んでいたんですか?」

福田時雄は一瞬、首をかしげて答えた。

「わからないんですよね」

「遺書とか、そういうものは……」

「遺書があったとしたら、その青山のほうの警察の方が持ってるかもしれません。そこまではまだ……」

「うーん、ここのところ福田さんがついてらして何かを悩んでたとか、思い込んでたとか、そういうことはないんですか?」

「ひじょうに、そのォ躁鬱の激しい娘ではあるんですけど。仕事面ではこのあいだの土曜日が渋谷公会堂で、昼夜二回とも満員。次の日はふるさとの名古屋でコンサートをやって、やはり満員でしたし、ドラマも明日から入る予定でした。仕事面では悩みはないはずです」

梨元が次の質問をしようとした時、捜査員が社長室に入ってきた。

「おい、おい、あまり捜査の邪魔するなよ」

という捜査員に、

「ハイ、ハイ、いますぐ終わりますから」

というやりとりがあって、インタビューは中断された……。

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その日、報知新聞編集局文化部の細貝武記者が自分のデスクに着いたのは午前十一時四十分頃だった。館内のスピーカーから共同通信の第一報が流れたのはその直後である。

「アイドルの岡田有希子がガス自殺を図り……」

瞬間、彼の脳裏にはデビュー前から知っている可憐な少女の笑顔が浮かんだ。その愛くるしい表情の記憶と「自殺」という単語が、自分の中でどうにもうまく結びつかない。しかし、机上の謎解きをしている暇はなかった。騒然とした雰囲気の中で、すぐに取材班が組まれた。ひとつの班は警察へ、もうひとつの班は岡田有希子のマンションへ、そして細貝を中心とするチームはサンミュージックへ、と即座に取材分担が決められた。

ベテランカメラマンのA、この四月に入社したばかりの新人Bを同行し、彼が会社の車に飛び乗ったのが十一時五十五分。あたりは特に車の往来が激しい。通常ならば千代田区平河町の東京本社からサンミュージックまでは十五分近くはかかる。しかし、この日はさしたる渋滞もなく、「報知新聞」の社旗を翻した車はスムーズに進み、十分ほどで目的地に到着した。

四谷四丁目の交差点で赤信号につかまったのが十二時六分。細貝は見慣れた「高橋・大木戸ビル」を指差して、新人のBに説明しかけた。

「ほら、あそこに看板が見えるだろう、あれがサンミュージックだよ」

細貝にとっては何度も取材で訪れたことのある場所、いわばそれは見飽きた風景だった。も
し新人のBを同行していなければ、そのビルを見上げることもなかっただろう。

だが、新人研修で文化部に配属されていたBには、ひとつひとつのことがものめずらしかった。しかも今日は「アイドルの自殺未遂」という事件の取材である。多少の興奮を抱きながら、ベテラン記者の言葉にうなずき、ビルを見上げた。

その時である。二人の目に上から落ちてくる何か黒いものが映った。

まるで空を飛んでいたスーパーマンが急降下で降りてくるような感じの何か。それは直角に落ちるのではなく、やや角度をつけて落下してきた。細貝の目には、髪の毛らしきものがやたらにヒラヒラとしているのが見えたが、それが何なのかはわからない。しかも地面に到着した瞬間、二本の棒のような何かがバウンドしたのが見えた。

「…………」

ベテラン記者と新人は一瞬、目を合わせた。そして、お互いに「見たよな」という顔をした。

先に口を開いたのは細貝だった。

「いまのマネキン人形じゃないか?」

 首をかしげながら、新人が答えた。

「えッ、黒いゴミ袋みたいでしたよ」

同乗のカメラマンと運転手は二人とも「何も見てないよ」と言った。

事実、落下地点に目を戻すと通行人たちは何事もなかったように平然と歩いている。やがて信号が青に変わり、彼らを乗せた車は右折しながらビルの横を通過した。

「ほら、やっぱりゴミ袋ですよ。ゴミのオレンジがくだけちゃってるもの」

新人が勝ちほこったように笑った。

路上に弾けたのが人間の脳ミソだと気づいたのは、車を降りてからだった。

「おい、人間だよ……」

もちろん、この段階では、それが「岡田有希子」とは誰も気づいていない。落下したのが人間だとわかった瞬間も、細貝の心は自分でも不思議なほどに冷静だった。ジャーナリストとしての眼が、目の前の惨状をクールに観察し、事態を分析しようとした。

(あッ、女だな)

(中年だ)

これが最初の判断である。

(ストッキングを履いている)

(黒いスカートだ)

彼の中でひとつの謎が解けた。

(バウンドしたのは足だったのか)

(足が動かないな……)

(即死!)

次に遺体の損傷具合に目がいった。

(地面に顔がメリ込んでいる)

(あッ、血が流れてきた!)

そして、ひとつの推理がなされた。

(付き人だろうか?)

(もしや岡田有希子の自殺未遂の責任を取ったのでは……)

そこまで推理した時、ふと我に返った。そして横で唖然としているカメラマンに、彼は、

「とりあえず写真を撮っておこう」

と指示を出した。

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しかし細貝本人もその写真が「一大スクープ」になろうとは自覚していなかった。いわば職業的判断から「押え」の写真を指示しただけにすぎなかったのである。次の瞬間、ビルから飛び出してきた溝口伸郎マネージャーの姿が彼の目に映った。毛布を持ったその顔は完全に青ざめている。

「可哀相に……可哀相に……」

顔なじみのマネージャーがそう口走っているのを耳にして、細貝は五階のサンミュージックに直行した。
 そして、事務所に飛びこむと彼は叫んだ。

「おい、いまの誰ッ?」

その場にいた社員をつかまえて、彼は質問をした。聞かれた相手は窓の外をちらりと見ながら、こう答えた。

「わかんないよ。誰だか知らないけど、ウチのビルを使って自殺するなんて、迷惑な話だよな、まったく」

細貝は苛立って、もう一度その社員に言った。

「とにかく女子社員を数えてみろよ!」

相手はしぶしぶ社員名簿を取りだし、そのフロアにいる女子社員の顔を数えはじめた。

「一、二、三、四……」

確認を終えて相手が答えた。

「ほら、ちゃんといるよ」

ではなぜ、溝口マネージャーが……。ここでは埒があかないと判断した細貝は、六階に駆けのぼり社長室に飛び込んだ。そこには相沢社長と福田専務の二人が呆然として立ちすくんでいた。

「いまの誰?」

細貝の問いに、相沢秀禎がやや間をおき言葉を絞りだすように答えた。

「本人だよ……」

女性秘書が手にストロベリージュースを持ったまま、震えて泣いていた。思わず細貝は聞き返した。

「本人?」

もう一度、相沢が応じた。

「岡田有希子だよ……」

その瞬間、細貝の脳裏で、落下してゆく物体が地面で弾けるシーンが再現された。そして三年前、はち切れんばかりの水着姿で「絶対にがんばります!」と誓った少女の姿がオーバーラップした。

やや遅れて到着した梨元リポーターの質問に、彼は相沢社長と同じ口調で答えた。

「本人、岡田有希子……」

細貝武記者が初めて岡田有希子に会ったのは三年前の春。彼女がデビューする直前のことである。所属のサンミュージックでは各スポーツ紙の芸能担当記者を招待し、岡田有希子とサイパン同行取材ツアーという企画を主催した。新人歌手のデビューにあたってはよくこの種の招待旅行が催される。いわば「今後ともよろしく」という意味でのプロダクション側の挨拶代わりみたいなものである。

細貝も報知新聞の記者として、そのサイパン行きに同行した。これが最初の出会いだった。そして旅先のサイパンで、彼は他のスポーツ紙記者とある賭けをしたことをいまでも覚えている。それは「岡田有希子はスターとして成長するか否か」というものだった。相手の記者はこう言ったものである。

「性格的にもあんなに暗い感じの娘じゃ、まず無理だと俺は思うな」

事実、同年代の少女タレントたちに比べて、その新人歌手は極端といっていいほど「ネクラ」っぽく細貝にも思えた。常夏の島、開放的な気分のサイパンにおいてさえ、それが感じられるのだ。
「スターになるのは無理」と賭けるほうにも一理あった。

しかし、細貝は「可能性あり」のほうに賭けた。その理由として、こんな説明をしたことを彼は覚えている。

「いざマイクを持てば、違うものだよ。結構、明るくなるのがこのタイプさ。ステージの上の明るさとプライベートでの暗さ、むしろそんなギャップがあったほうがいいかもしれないよ。スターには不可欠な不思議要素としてね」

また、言葉ではうまく説明できない「ある予感めいたもの」をこの未知の少女に感じたのも事実だ。さらにこの『取材ツアー』を通じて、彼女にたいする個人的な好感を抱いたことも手伝っていた。

細貝の「予感」は的中した。その年の暮れ、岡田有希子は「強力ライバル」であり「本命視」されていた吉川晃司を抜いて「レコード大賞新人賞」を受賞した。

その時も細貝は、各スポーツ新聞芸能担当記者に与えられる一票を彼女に入れた。

その理由は三つあった。ひとつはサイパンの時の「予感」を実現させたかったこと。もうひとつは個人的に「好感」を持っていたこと。そしていちばんの理由は、歌手・岡田有希子の可能性にたいする「期待」という点だった……。




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by cress30 | 2004-12-22 09:00 | ●岡田有紀子

岡田有紀子 自殺の真相3

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岡田有希子の遺体が四谷署に着いたのは十二時四十分だった。

同じ時刻、サンミュージックでは相沢秀禎を囲んでスタッフの緊急会議が始まった。

その間にも報道陣が続々と「大木戸ビル」に押しかけている。

各テレビ局のスタッフが場所を取り、記者会見の準備をそそくさと始めている。誰もが興奮していた。会場にあてられた六階の会議室は異様な熱気に包まれていた。なかには「岡田有希子」の顔すら知らない記者がいる。

「どんな曲、歌ってる娘?」

明らかに「アイドル」の取材とは無縁に見える一般紙の遊軍記者もかなりいた。

「いや、俺も全然知らないんだ。とにかく四谷に飛べと……」

その会話からも事件の異常さが感じられる。

記者会見が始まったのは午後一時三十分である。

 出席したのは相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人だった。

「ふだんから何か悩んでいたことは?」

福田専務がひと通りの経過報告をした後、ひとりの新聞記者が質問した。

「感情の起伏が激しい娘だったことは事実だったんですか」

さらに同じ記者が質問する。

「線の細い娘、という感じはなかったですか?」

その熱気に少しネクタイをいじりながら福田が応える。

「シンは強い娘だと思っていたんですけどねえ……」

事件直後のやりとりを思いだして梨元が質問した。

「先程、躁鬱が激しいみたいなことをおっしゃってましたよねえ。そういう部分は見受けられなかったんですか?」

下を向きながら福田はポツリと言った。

「ええ、ありましたね……」

女性誌の記者が受けた。

「たとえば、このところ何かおかしいなァ、というような点、具体的に思いあたるところはな
いんですか?」

横を見ながら福田が、

「うーん、それは僕よりも担当マネージャーの溝口が、ずっとそばについてたわけですから……」

カメラマンたちの視線が横にスライドする。

「どうでしょうか?」

溝口に向かっていっせいにフラッシュがたかれる。

「昨日の夜も、七時からの渋谷に試写会を見に行って、いちおうオフだったんですね。

ほんとは今日から、ドラマを開始するはずだったんですけど。それが準備の都合で明日からになりまして……本人はオフだったものですから、電話を夜の十時ごろにしたわけです。その時はひじょうに声も明るくて、『あッそう、残念ねえ』というような話をしてて。ものすごく明るいんですよね、声自体は……だから『じゃあ明日、また電話するから』ということで、十時ごろ、その電話を切ったんですけど……」

昨日、試写会に訪れた彼女の姿は何社かのカメラマンが撮っていた。

「女のともだちと二人で『ロッキー4』を見に行った、ということを聞いたんですが……それはどなたと行ったんですか?」

腕を組み直して溝口は、

「えーと、僕もよくわからないんですけど、前にドラマをやってまして、そこの共演した女の子だと思います。しょっちゅうコンサートも見にきてもらったし……」

福田に向けられた質問がくりかえされる。

「最近、なにか鬱だとか、そういうことを感じられたことはありますか?」

 一瞬、沈黙してから溝口は答えた。

「あのォ、最近はないんですが……。そういう部分では、すぐ考えちゃうところのある娘だったからね……そういう意味では僕たちにたいしてもあんまり自分を話してくれないというところがあったり……」

誰もが「なぜこんな自殺までして?」という疑問を解きたいと思っていた。そんな苛立ちが質問のどうどうめぐりを呼んでいた。

「マネージャーとして、いろいろな相談にのってたこともあると思うんですけど……」

 首をひねりながら溝口も応じる。

「直接相談するっていうことはなかったんですよね」

ふたたび福田が答えた。

「あのね、割に思い込むほうなんですよね。自分ひとりで仕舞い込むというところがあったわけです。ええ」
 梨元が質問の方向を変える。

「部屋には遺書とか、そういうものはあったんですか?」

もう一度、福田に向かってカメラが集中する。

「あのォ、病院にしか行ってませんし……当然そこには、警察の方も消防署の方もお入りになってるわけですから。えー、あったかどうかということはわかりません。いまの段階では……」

記者たちの鉛筆を走らせる音が重なる。

「あのォ以前に、たとえば死にかけたとか死のうとか、そういうことはあったんですか?」

質問者の梨元を見て、福田が応じる。

「全然ないです。初めてです。ましてや先程も言いましたように、仕事は順調ですし、高校までは社長の家にずっといたわけですから……。十八歳になって自分の城が欲しいというので、念願の青山に自分の城が持てたわけですから。そんな、まったく、死ぬような理由はないわけですよね」

同じ表情の上をカメラのフラッシュが何度も何度も捉えてゆく。

「家庭的な面で悩んでる、というようなことはなかったんですか?」

 福田はしばらく考えこんだ。

「……家庭的な面といっても、御両親もおじいちゃん、おばあちゃんも皆さん元気ですし、先日、名古屋に行った時も……、全然考えられないですね」

一拍、間があいたところで、また梨元が口火を切る。

「申し訳ないんですが、こういう場なんで確認したいんですが、たとえば男のともだちのこととか、そういうことで何か悩んでるみたいなことはありませんでした?」

 軽く座りなおして、今度は溝口が応える。

「だから、それがハッキリ言わないからね。そこまではちょっとわからないんですけどね」

スポーツ紙の記者が早口で聞いた。

「生活してるなかで、何か思いあたる部分ってなかったんですか?」

相沢のほうをちらっと見て、福田が代弁する。

「社長の家にいた時は、それは他人様の家ですし……やはり『ひとりで住みたい』という気持ちは皆ありますから。だけど自分で望んでこの道に入って、青山のマンションに入れて、生活の面でも充実してきたばっかりでしょう。ひとりになったのは四月の四日からです。土曜日の日は渋谷公会堂でコンサートがありまして、昼夜二回やりまして、どちらも満員だったんです。夜の部が終わりましてから、社長の家に引っ越しのあいさつに行ったんです。考えられないですね」

 誰かがするだろうと思われた質問が飛んだ。

「先日、アイドル歌手の遠藤康子さんの自殺ということがあったわけなんですけど、あの事件がいくらか影響してるとは考えられませんか?」

これには福田もきっぱりと応じた。

「立場がちがうと思いますね」

同じ記者がくりかえす。

「そのことについては、彼女自身が話したことなんかはない?」

そちらの方向を見て、もう一度きっぱりと福田は首をふる。

「僕は聞いてません」

彼の言葉を受けて、また梨元が聞いた。

「福田さんね。彼女、家庭的な面では、ひじょうに恵まれてた。そして明日からは『ドラマの仕事で主役をやる!』というような責任感もあったと思う。その直前でしょ。そういう中でひとつひとつ自殺の動機となる可能性というものを消してゆきますとね、男ともだちみたいなことが最後の理由として残ってくるんですけど、その辺はどうなんでしょうか?」

咳ばらいをひとつして、福田が答える。

「それは、事務所としてはまったく心あたりがないです」

さらに溝口が口を開いた。

「それは、ま、やはり十八歳の女の子だから、あこがれみたいなもの、そういう面ってあると思うんですよね。『誰々が好きだ!』というようなあこがれの部分はあったでしょう。ただ、おつきあいをしてどうのこうのというのは聞いてないですね。それはプライベートな部分で、自分の中で、そういうことになやんでたということはあるかもしれません。それを僕がわからなかったとしたら、ひじょうに残念に思いますけど。思いあたる部分と言われても……それは考え込むという部分が彼女にはありましたよ。自分がそういう点を汲んであげられなかっというのは、担当マネージャーとして大変に残念です。」

レッスンを休むとか、ふさぎがちになったとかいうことも一切なかったという。

「悩んでいるような時、溝口さんがついてらして、『なんで悩んでるんだろうな?』と想像されたりはしませんでした?」

梨元の質問に溝口が答える

「だから、担当マネージャーとしてそういうことっていろいろ考えますよね。考えるけれども、実際に彼女の頭の中で考えていることというのは、ほんとに話してはくれないですからね。それがいまも言ったように歯がゆいんですけど……」

質問もとぎれがちになってきた時、ひとりの記者がたずねた。

「さっき溝口さん、あそこに花を供えられてましたね。どんなお気持ちだったんですか?」

溝口の目に涙がうかんだように思えた。

「いや、ひじょうに残念です。今日、僕は、家のほうで子供の入学式があったものですから。実際に今日はオフだったんで、家のほうに連絡をもらって、『病院のほうに行ってる』ということでね。病院のほうへ行ったら、もうこちらのほうに向かったということで、車でこちらに来たわけです。それで交差点で信号待ちしている時に、僕も実際に上のほうから落っこちてくるのを見たわけですよ。その時はまさか、人間が落っこちてきたとは思いませんでしたよ。咄嗟になにかあったんじゃないかとは思いましたけど……」

次の瞬間、溝口の中でなぜか「有希子だ!」という思いが走ったという。

もちろん、この目で確認したわけではない。が、そんな直感が走った。

(有希子じゃない! 有希子じゃない!)

そんなことを心でつぶやいて、タクシーを降り、彼は現場に駆けよった。

彼の目に真っ先に飛び込んできたもの。

それはまぎれもなく、見慣れた彼女の腕時計だった……。

「有希子!」

「有希子!」

無意識のうちに、彼は二回叫んだ。

なにがなんだかわからなくなった。

いつものようにDPEの看板がくるくると回っている。入り口の弁当屋には昼時だというのにもう誰もいなかった。通行人が悲鳴をあげる。

「有希子、可哀相に……」

無言でうつ伏した遺体の前で、彼はふっと我に返った。

(毛布!)

彼は事務所にかけのぼり、毛布をとってきた。

「可哀相に……可哀相に……」

震える手で彼は遺体を覆った。

すべてが白昼夢のような出来事だった……。

岡田有希子の自殺事件は、芸能界とマスコミにパニックとなって広がった。テレビ各局は番組内容を変更して事件現場からの中継に切り替え、四谷四丁目サンミュージックの前には事件を知ったファンがはやくもつめかけた。まだ、チョークの跡と血痕がなまなましい現場を遠巻きにしている若者たちの表情は、一種異様な光景だった。

ここでもう一度事件の経過を振り返ってみる。岡田有希子にいったい何が起ったのだろうか。

東京都港区南青山六丁目にある「ロータリーマンション」の六階住人が、ガス洩れ臭に気づいたのは四月八日の午前九時ごろだった。そこで三階にある管理人の部屋に連絡。管理人がガスの臭いの発生場所をたどってゆくと、四〇二号室の岡田有希子こと「佐藤佳代」宅から洩れていることがわかった。

ドアベルを押してみたが中からの反応はない。管理人はあわてて自室に戻り、四〇二号室の鍵を持ちだし、ふたたび四階に駆けのぼった。震える手で鍵を開けたが、ドアチェーンがロックされていた。つまり、部屋の中に誰かがいることは確かだった。

「佐藤さん、佐藤さん、いますか? 聞こえますか? 大丈夫ですか!」

大声をあげたが中からの反応がない。

一一〇番に電話がかけられた。東京ガスにも通報された。警視庁通信指令センターから赤坂消防署レスキュー隊に出動要請が入ったのが十時九分。七分後には救急隊がマンションに到着した。

ドアチェーンを切断し、中に踏みこんだ署員が押し入れの下段でうずくまっている女性を発見する。激しいガス臭の室内で、シクシク泣いている彼女の左手首が五センチほど切れていた。

「自殺未遂の患者が行きますからよろしく……」

消防署の指令センターから北青山病院に連絡が入った。

十時二十分、マンションの管理人からサンミュージックの総務部に連絡がとられた。
「岡田さんが救急車で北青山病院に運ばれました。どうやら自殺未遂のようです」

連絡を受けた福田専務は付き人の山崎結美をともなって、事務所を飛びだした。

患者を乗せた救急車が病院に到着したのが十時三十三分。直ちに外科の縫合手術が行なわれ、彼女の左手首が四針縫われた。

「手首を動かしてごらん」

担当医の言葉に患者は素直に従った。彼女の袖口は鮮血で紅く染まっていた。投薬と同時にガス中毒反応をみるための問診が行なわれた。

「あなたの生年月日は?」

 シクシク泣きながらも相手は答えた。

「昭和四十二年八月二十二日……」

次に現住所の確認。これにもキチンと答えた。どうやらガス中毒反応はゼロ、後遺症もなく、担当医は「入院の必要ナシ」と判断した。

サンミュージックの福田専務らが到着したのは十一時十五分過ぎ。岡田有希子は興奮状態でわんわんと号泣していた。管理人の連絡からは「ガス自殺を図ったらしい」ということしか福
田たちにはわからなかった。「手首も切った」ということは病院に着いて初めて知ったわけである。しかし、傷口の手当はすでに済んでいた。本人はひとことも話さず、ただ激しく泣くばかりだった。

「後遺症はないので大丈夫ですよ。もう連れて帰ってもいいですよ」

担当医の言葉を受けて、福田は「とりあえず事務所に連れてゆこう」と判断した。社長の相沢秀禎が歯医者に出かけている間の出来事なので、そうせざるをえなかった。病院の前でタクシーを拾うと本人と山崎結美を後ろの座席に座らせ、福田は運転手の横に乗りこんだ。

本人も号泣という状態からシクシク泣きに変わっていた。やや落ち着きもとり戻してきているようだった。運転手がいる手前、車内では三者とも会話は交わさなかった。サンミュージックに着いたのは十二時を少しまわった頃である。本人の希望でトイレに行かせた。

「ちゃんとトイレの前に立ってろよ!」

万が一の場合を考えて、福田は付き人の山崎にそう指示した。

その後、社長室に入った三人は二、三の会話を交わした。もちろん「自殺」のことについては何もふれなかった。

「なんか食べるかい?」

本人の動揺を静めるために福田は聞いてみた。

「いや、何もいりません」

 下を向いたまま、彼女は答えた。

「じゃあ、コーヒーでも飲んで落ち着くかい?」

「何もいらない……」

「それじゃ冷たいものでも飲もうよ」

その言葉には彼女もややうなずいた。そこで彼は社長秘書を呼んだ。

「何か冷たいものをとってよ。有希子は何がいい?」

山崎結美が代わりに答えた。

「ストロベリージュースがいいわよね」

秘書はストロベリージュースと専務たちの分を注文した。

その時、事務所に急行している相沢秀禎から自動車電話が入ったという伝言がきた。本人の前では事情説明もしにくい。

「ちょっと待って」と告げて、福田は隣室の受話器を取るために社長室を出た。

ほんのつかのま、社長室には本人と山崎結美二人きりになった。

「ちょっと、ティッシュを……」

そう言った後、本人が姿をくらますまでの「一瞬」は、関係者の証言でも「空白」となっている。とにかく、ほんの一瞬、目を離したスキに彼女は部屋を脱けだしたのである。

「有希子がいませんッ」

福田のいる隣室に顔面蒼白の山崎が飛びこんできた。

「なにッ」

福田は受話器を落としそうになった。山崎はオロオロするばかりで、何を言ってるのかわからなかった。

とにかく捜した。捜し始めた福田の目に脱ぎ捨てられたスリッパが飛びこんできた。それは病院からそのまま本人が履いてきたものだ。右足の分が少し前方を向いて傾いている。彼女の両足を離れたスリッパは七階の屋上に向かう階段の下で、その肉体のゆくえを示していた。

「おい、屋上だッ」

四月のまばゆい陽光の中に、その扉は口を開けていた。駆けあがった屋上にも彼女の姿はなかった。屋上の表通りに面した方角は『クリナップ流し台』の大看板でゆくえを遮られている。

「こちらのわけがない!」と直感的に判断した福田は、裏通りのほうから眼下を覗いてみた。

その時、山崎結美があがってきて、その場にしゃがみこんでしまった。

「落ちたな……」

山崎の姿を見て、福田は事態を了解した。そして階段方向からざわめきが聞こえた。

注文した飲み物が届く前の、ほんの一瞬の出来事である。飲み手を失ったストロベリージュースの氷が溶けていった……。

この日全国のほとんどの学校では入学式が行なわれ、総数五百五十万六千六百六人の新入生が希望に胸をふくらませて校門をくぐった。

東京に桜の開花宣言が出されたのは二日後のことだった。。



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by cress30 | 2004-12-22 08:58 | ●岡田有紀子