2005年 11月 09日
沢田研二 シングル ②
1971.11.01 君をのせて■ザ・タイガース、PYGを経て発売された沢田の実質的なソロ・デビュー作品。本人は「OH! ギャル」のの次に嫌いな曲と言っているが親交のあった久世光彦は「これは男同士の友情の歌だ」と絶賛している。
■最高位23位
1972.03.10 許されない愛■沢田研二にとってはオリコンで初めてのベスト10入り。レコーディングはロンドン・スタジオで行われた。第14回『日本レコード大賞』歌唱賞を受賞。オリコンでは5週間にわたり4位にランクされ35万枚を超すセールスを記録した。
■最高位4位
1972.06.25 あなただけでいい■ジャケットは前作「許されない愛」を青くした写真で、バラの花を咥えているような絵によるデザインが施されている。「許されない愛」と入れ替わるようにオリコンのベスト10に初登場。2週間5位にランクされるなど、25万枚近いセールスを記録した。■最高位5位
1972.09.25 死んでもいい ■これまでのシングルで最もロック色の強い楽曲。オリコンでは9位まで上昇したが、セールスは20万枚にも届かなかった。
■最高位9位
1973.01.01 あなたへの愛■発売されて3週間でオリコンのベスト10に初登場。2週間6位にランクされるなど、20万枚を超すセールスを記録した。
■最高位6位
1973.04.21 危険なふたり■第15回「日本レコード大賞」大衆賞、第4回「日本歌謡大賞」大賞を受賞。
発売されて2週間余りでオリコンのベスト10に初登場し、7週後には1位を獲得した。一時期、ガロのシングル「君の誕生日」に1位を明け渡すが再び1位に返り咲くなど、1973年の年間第5位に輝いた。■最高位1位
1973.08.21 胸いっぱいの悲しみ■前作「危険なふたり」と入れ替わるように発売されて3週間余りでオリコンのベスト10に初登場。2週間4位にランクされるなど、25万枚を超すセールスを記録した。これまでのシングルにはA、B面曲共に英語による別のタイトルが付けられていたが、これ以降は主タイトルのみとなる。 ■最高位4位
1973.12.21 魅せられた夜■発売されて2週間余りでオリコンのベスト10に初登場した。4週後には3位まで上昇するなど、1974年の年間第24位にランクされた。
■最高位3位
1974.03.21 恋は邪魔もの■レコードのジャッケットに井上堯之バンドの写真を散らばせ、バンド色を前面に押し出した形で、ジュリーのボーカルも更に甘く、アレンジも更に激しくなっている。発売されて2週間余りでオリコンの4位に初登場でランクされるなど、25万枚を超すセールスを記録した。 ■最高位4位
1974.07.10 追憶■第16回「日本レコード大賞」歌唱賞を受賞した。同年12月31日には、第25回NHK紅白歌合戦で歌唱。発売から2週間でオリコンのベスト10に初登場した。4週後には1位を獲得するなど、1974年の年間第11位に輝いた。 ■最高位1位
1974.11.21 愛の逃亡者■歌詞が全編英語という意欲作でオリコンでベスト10に入る事は出来なかった。日本人アーティストによる歌詞が全編英語の曲でのベスト10入りは、ザ・タイガース「Smile For Me」が最初で。 当時ブームだったブルース・リーを意識して「ウーッ」「ハーッ」というかけ声が入っている。■最高位12位
1975.03.01 白い部屋■発売して3週間余りでオリコンの8位にランクされるなど、20万枚を超すセールスを記録した。曲調は「追憶」に似ている、爽やかなバラード調の12枚目のシングル。
■最高位8位
1975.05.21 巴里にひとり ■楽曲はフランス国内のRTLというラジオチャートで最高位4位を獲得、およそ20万枚のヒットを飛ばし、後にヨーロッパ他各国における複数枚のシングル、アルバム『KENJI SAWADA』のリリースへと繋がっていく。2バージョンが発売されており、B面曲が異なる。 ■最高位5位
1975.08.21 時の過ぎゆくままに ■第6回日本歌謡大賞で放送音楽賞を受賞。2週間余りでオリコンの3位に初登場した。4週後には1位を獲得し、5週間にわたり居座り続けた。ミリオンセラーには至らなかったものの、オリコン集計で約92万枚の売上を記録し、シングル・アルバム含め自身最大のセールス。■最高位1位
1976.01.21 立ちどまるなふりむくな ■15枚目のシングル。オリコンでは8位止まりとなり、セールスも20万枚には届かなかった。曲調は前述の「時の過ぎゆくままに」に似ているが、更に演歌色が出ている。
■最高位8位
1976.05.01 ウィンクでさよなら■16枚目のシングル。作詞は「あの日にかえりたい」が大ヒットした直後の荒井由実。この曲も伸び悩み、セールスは20万枚にも届かなかった。
■最高位7位
1976.09.10 コバルトの季節の中で■17枚目のシングル。作曲は沢田研二本人。
セールスは20万枚を突破。
■最高位7位
1977.02.01 さよならをいう気もない■18枚目のシングル。金色のキャミソールという突拍子もない衣装が賛否両論を呼んだ。オリコンでは8位止まりであったが、20万枚を超えるセールスを記録した。
■最高位8位
1977.05.21 勝手にしやがれ■自身の2番目のセールス。19枚目のシングル。1度はピンク・レディーの「渚のシンドバッド」に明け渡すが、再び1位に返り咲いた。沢田研二の代表曲となった。第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞、第11回全日本有線放送大賞では大賞を受賞。■最高位1位
1977.08.10 MEMORIES■沢田研二にとって節目となる20枚目のシングルで、前作の「勝手にしやがれ」がヒット中であったためオリコンではベスト50にランクされるのがやっとだった。このシングルは、1977年7月30日に西ドイツで先行発売されている。
■最高位40位
1977.09.05 憎みきれないろくでなし■「勝手にしやがれ」と入れ替わってオリコンのベスト10に初登場した。上下を繰り返しながら4週間3位にランクされるなど、60万枚を超えるセールスを記録した21枚目のシングル。
■最高位3位
1978.01.21 サムライ■発売されてピンク・レディーの 「UFO」 に阻まれて1位こそ逃したが、50万枚を超すセールスを記録。発売されて2週間余りでオリコンのBEST10に初登場した。ピンク・レディーの「UFO」に阻まれて1位こそ逃したが50万枚セールスを記録。 ■最高位2位
1978.05.21 ダーリング ■当時人気絶頂であったピンク・レディーの「サウスポー」を抜いて一気に1位を獲得するなど、45万枚近いセールスを記録し、1978年の年間第22位に輝いた「勝手にしやがれ」以来5曲目のオリコンでの1位獲得した23枚目のシングル。■最高位1位
1978.08.01 ヤマトより愛をこめて ■劇場用アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のエンディング・テーマであった。 発売されて3週間でオリコンのベスト10に初登場した。2週間4位にランクされるなど、25万枚を超えるセールスを記録した24枚目のシングル。 ■最高位4位
1978.09.10 LOVE (抱きしめたい) ■第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞・金賞、第9回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。前作「ヤマトより愛をこめて」と入れ替わりにオリコンのベスト10に初登場した。5週間4位にランクされるなど、50万枚近いセールスを記録。 ■最高位4位
1979.02.01 カサブランカ・ダンディ■第21回日本レコード大賞金賞を受賞。ウイスキーを口に含んで霧を吹くパフォーマンスが話題となった。2週間でオリコンのベスト10に初登場した。5週後には5位まで上昇するなど、1979年の年間第26位にランクされた。■最高位5位
1979.05.31 OH! ギャル ■沢田研二本人は「最も嫌いな歌」と言っているが発売されて2週間でオリコンのベスト10に初登場した。5週後には5位まで上昇するなど、30万枚を超すセールスを記録した27枚目のシングル。■最高位5位
1979.09.21 ロンリー・ウルフ ■第10回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞した28枚目のシングル。セールスは10万枚にも届かなかった。
■最高位18位
1980.01.01 TOKIO ■電飾の施された衣装は後に、テレビ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)でビートたけし演ずるタケちゃんマンの衣装として使用された。
第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞した29枚目のシングル。
■最高位8位
1980.04.21 恋のバッド・チューニング ■この作品のヒットで全シングルレコードの総売上枚数がついに1000万枚を突破した沢田研二の30枚目のシングル。
■最高位13位
1980.09.21 酒場でDABADA ■第22回「日本レコード大賞」金賞、第11回「日本歌謡大賞」放送音楽賞を受賞。オリコンでは前作「恋のバッド・チューニング」に続きベスト10入りは逃し、セールスも15万枚には届かなかった。
■最高位14位
1980.12.23 おまえがパラダイス■3作連続でベスト10入りは逃し、セールスも10万枚を超えるにとどまった32枚目のシングル。テレビ番組などで歌う際は、歌いながらバックバンドのギタリストである柴山和彦の髪をかきむしるパフォーマンスを行っていた。これは後のライブにおいても同様に柴山に対して行っている。
■最高位16位
1981.05.01 渚のラブレター■「TOKIO」以来のオリコンでのベスト10入りのシングルとなった32枚目。「マックスファクター'81」夏のキャンペーン・ソング。発売されて1ヶ月余りでオリコンのベスト10に初登場した。3週間8位にランクされるなど、20万枚を超えるセールスを記録。 ■最高位8位
1981.09.21 ス・ト・リ・ッ・パ・ー ■第23回日本レコード大賞金賞、第12回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。発売当初は伸び悩みオリコンには7週間経ってからベスト10に初登場。35万枚を超すセールスを記録した33枚目。
■最高位6位
1982.01.10 麗人■ジャケット写真は西洋諸国の国旗をバックにした大正のレトロ調を感じさせる作りになっており「天晴れ、謹賀新年の艶姿。」と書かれている。テレビ番組などで歌う際は、チャイナドレスを彷彿させる衣装と三つ編み付け毛、紫のアイシャドーという出で立ちであった。■最高位10位
1982.05.01 おまえにチェックイン■アルバムにも記号が抜けている箇所があり、その他ベストアルバム等にも抜けているものが多いなど、公式資料でも表記は統一されていない。「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」以来でジャケットに「SONGS By KENJI SAWADA with EXOTICS」とバックバンドの名称が併記。■最高位8位
1982.09.10 6番目のユ・ウ・ウ・ツ ■第24回日本レコード大賞金賞、第13回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞した。オリコンの6位に初登場するなど、25万枚を超すセールスを記録。曲における「ユ・ウ・ウ・ツ」とは、「衣・食・住・金・女」の全てを満たした男がたどり着く憂鬱のこと。■最高位6位
1983.01.01 背中まで45分 ■作詞・作曲は井上陽水。オリコンではベスト20入りがやっとで、セールスは10万枚にも届かなかった38枚目のシングル。アルバムに収録されているバージョンとこのシングルのバージョンはアレンジが大きく異なる。
■最高位20位
1983.05.10 晴れのちBLUE BOY ■ジャケットには「JULIE & EXOTICS」と書かれており、写真も「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」以来のバックバンドのメンバーが沢田と共に全員写ったものになっている。当時はまだ馴染みの薄かったジャングルビート(近田春夫が連載「気分は歌謡曲」でそのアレンジを絶賛)を大胆に導入しており、演奏の際のセットもジャングルを舞台としていた。 ■最高位11位
1983.09.21 きめてやる今夜■元々は自身の作曲で内田裕也に提供した楽曲だが、セルフカバーにあたりメロディーをまったく違うものに変えている。なお内田に提供したバージョンは、松田優作もカバーしている。第25回日本レコード大賞特別金賞を受賞した40枚目のシングル。 ■最高位14位
1984.02.10 どん底■この頃にはセールスの低調も顕著となり、自身も「今がどん底です」と自虐的なコメントを残している。楽曲は映画の題名をモチーフにしたものが多くその一環と考えられる。ファッションにも「世界の恋人」と呼ばれた映画女優マリリン・モンローが描かれている。 ■最高位18位
1984.04.25 渡り鳥 はぐれ鳥 ■同年発売のアルバム『NON POLICY』先行シングルで、1981年の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」以来共演を続けていたエキゾティクスとの最後の作品となった沢田研二の42枚目のシングル。
■最高位20位
1984.09.25 AMAPOLA ■ポリドールからの最後のリリースとなった作品。シングルA面曲としては初めてのカバー曲となった。ジャケット写真は沢田が一切写っていない。43枚目のシングル。■最高位26位
2008.08.27
SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years



●1984~1989 東芝EMIからリリースのアナログ盤
1985.08.08 灰とダイヤモンド■ザ・タイガースでデビューして以来所属していたポリドールレコードを東芝EMI移籍しての第1弾。沢田研二の44枚目のシングル。これまでのバンドサウンドと異なり、バイオリンを大きくフィーチャーしている。
■最高位19位。
1986.04.23 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 千夜一夜物語■新バックバンドCO-CoLOを率いての第1弾作品で、ジャケットにも「沢田研二/CO-CoLO」と大きくクレジットされている。本人出演のCMソングともなった。なお沢田は従来タイアップを毛嫌いしており、それ故に『渚のラブレター』が嫌いだ、と語ったこともある。 ■最高位24位
1986.10.22 女神■沢田研二の46枚目のシングル。A面曲としては1982年の「麗人」以来となる阿久悠の作詞。歌詞も往年の沢田を意識した「ジュテーム」を連呼している。B面の「ウルレレNo.9」は実在しない香水。
■最高位47位
1987.03.21 きわどい季節■47枚目のシングル。ジャケット写真は「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ ?千夜一夜物語?」と同様に、「沢田研二/CO-CoLO」とクレジットされている。なおジャケットには「Summer Graffiti」という副題が添えられている。■最高位67位
1987.07.22 STEPPIN' STONES■両面とも沢田の自作曲となっている。ジャケット写真の無精ひげを伸ばしたビジュアルは、従来のファンからの賛否両論を呼んだ。バックバンドがCO-CoLOの間の、最初にして最後のロック・ナンバーである。 この曲で初めてオリコンランキング外。
1987.11.16 CHANCE■両面とも沢田の自作曲。沢田研二の49枚目のシングル。
■最高位32位
1988.06.25 TRUE BLUE■同年発売のアルバム『TRUE BLUE』先行シングルで、CO-CoLOを率いての最後の作品。沢田研二の50枚目のシングル。A、B両面ともアルバムに収録されているが、バージョンは異なる。この作品からアナログ盤と平行してCDでのリリースが始まった。平行リリースは「ポラロイドGIRL」まで続いた。
■最高位53位
1988.10.26 ストレンジャーStranger■CO-CoLO解散からJAZZ MASTER結成に至るまでの短期間に活動していたKris Kringlを率いての作品。同バンドを率いてのアルバムは製作されなかったためか、オリジナルアルバムには収録されていない。
■最高位51位
1989.05.24 Muda■タイトルは「無駄」の意味。小文字の「m」が大きく表記される特殊な文字記号を用いている。ジャケットはトラと一緒に檻に入っている沢田の上に「DO NOT FEED THE ANIMAL」と書かれアップテンポなロックナンバー。オリジナルアルバムには収録されていない。歌詞にシャネル、ヴィトンというブランド名が登場するがNHK出演時は「ブランドかぶれ」などに歌詞が変更された。■最高位64位
1989.09.20 ポラロイドGIRL/DAYS■アナログ盤としてはラストとなる。平行してデジタル盤もリリースされた。
■最高位44位
1986.10.25 シングルA面コレクション

■CDポリドール盤44枚のシングルA面のセット。3枚組みだった。
1997.12.10 Royal Straight Flush 1971-1979

71年君をのせてから79年ロンリー・ウルフまでのすべてのシングル28枚A面曲を年代順に収録,そのジャケットまでカラー掲載したカッコ良すぎる2枚組。正直,実際の役者としては大したコトないが,歌の中での役者ぶりとその表現力はやっぱ超一流。すべての歌に情景が見える。
by cress30 | 2005-11-09 10:30 | ※沢田研二




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