2004年 10月 09日
前野曜子 (初代ペドロ&カプリシャス・ボーカル)
◎前野 曜子(まえの ようこ、1948年1月25日 - 1988年7月31日)。ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカル。東京生まれ。歌唱力は高く評価されたが、アルコール依存で、ステージに穴を空けることが多かった。
1988年7月31日に肝臓病で死去。
前野曜子は宝塚歌劇団出身で1年で退団し、1969年から約1年間余り、リッキー&960ポンドで亀淵由香とダブルボーカルで活動 (西丘有里・名) し、シングル 『ワッハッハッ/愛しているのに』 (CBSソニー
SONA8605) でデビューしている。在籍1年余りで脱退。同グループの位置づけがコミック・バンドということに耐えられなかったらしい。その後2年余り、東京赤坂でクラブ歌手として、もっぱら洋楽を歌っている。
1972年 『別れの朝』 を原曲の英語で歌っていたのを聞いたデビューが間近で女性ボーカルを探していたペドロ&カプリシャスのリーダーにほれ込まれグループ加入を依頼された。その年(1971年10月25日) ペト゜ロ&カプリシャス最大のヒットでもあるデビュー曲 『別れの朝/夜のカーニバル』 へと繋がる。その後も2枚のシングル 『さようならの紅いバラ』 『そして今は』 に アルバム 『別れの朝/ペドロ&カプリシャス Ⅰ』 『さよならの紅いバラ/ペドロ&カプリシャス Ⅱ』 の2枚をリリースする。
が、ペドロ&カプリシャス も人気絶頂期に1年余りで脱退し、黒人歌手アーノルド・スコットへの逃避行で、単身渡米。現地で結婚し半年で破局し1973年単身帰国。この件を自身が週刊誌ブレーボーイのインタビューで 「黒人社会に合わなかった」 と離婚の原因を語っている。


1973年9月25日 『夜はひとりぼっち/センチメンタル・ヨーコ』 で活動を再開。1974年4月5日 『ゆうなぎ/誘惑』 と2枚のシングルをリリースするもヒットには繋がらなかった。
1976年11月25日に、ペドロ&カプリシャス前の1970年まで在籍したリッキー&960ポンドにメーンボーカルとして復帰。クレジットは 「前野曜子・リッキー&960ポンド」 名義となる。 『帰らないで』 をリリース。77年には 『告白アイラブユー』 『抱きしめて』 と通算3枚シングルと 『抱きしめて』 (アルバム) をリリースし脱退。再びソロ活動に戻り亡くなるまでに多くの作品を発表した。

1977年4月1日、フォーク全盛期の小椋佳が自身初プロデュースした 『渡良瀬逍遥』 に単独ソロ録音で1曲 (風船の愛) 参加。小椋佳の作品では唯一のこと。前野曜子に参加してもらった経緯を 「曜子の声が作品のコンセプトにマッチしていたのとすばらしい歌唱力」 とコメントしている。
それからの期間、角川映画 『野獣死すべし』 にも出演 (下にイメージ画像掲載)、他 角川映画 『野獣死すべし』 の主題歌とサウンドトラックもリリースし大ヒットする。この時期NHKに出演した生前最後の映像が放送され (動画掲載) る。本人名義で最後の作品は、シングル 『コブラ』 (フジテレビ系TVアニメ 『スペース・コブラ』 主題歌) で、この後、1982年に内臓疾患で入院。回復もけわしく、1988年7月31日に心不全で死亡。享年40歳。
シングル 画像は拡大設定
1969.11.01 ワッハッハ/愛しているのに
リッキー&960ポンド
・CBSソニーレコード SONA8605
1969.11.01 愛しているのに/ワッハッハ
リッキー&960ポンド
・CBSソニーレコード SONA8605
1970.1.21 恋のマリアンヌ/悲しい僕を向け
リッキー&960ポンド
・テイチク ECLA-5
1970.09.05 朝を待たずに/なくてもともと
西丘有里 名義
ユニオンレコード US696
潮風のメロディー~ザ・ホテル・ヨコハマ前野曜子
アルバム『TWILIGHT』が紙ジャケリイシューされた時にボーナストラック収録されたので音源的には今や珍しくなくなりましたが、非売品のレコード、今日はじめて見ました。前野曜子が歌うホテル・ヨコハマのノベルティ・ソング「潮風のメロディー~ザ・ホテル・ヨコハマ」7吋盤です。作詞:杉山政美、作・編曲:木森敏之、コーラス:フィーリング・フリー、演奏:ニューポップス・オーケストラ。旧ホテルモントレ横浜
1971.10.25 別れの朝/夜のカーニバル
ペドロ&カプリシャス
・ワーナーブラザーズパイオニアレコード LA-1059A
1972.04.25 さようならの紅いバラ/愛のレクイエム
ペドロ&カプリシャス
・ワーナーブラザーズパイオニアレコード L-1081A
1972.07.25 そして今は/朝もやの中で
ペドロ&カプリシャス
・ワーナーブラザーズパイオニアレコード L-1095A
1973.09.25 夜は一人ぼっち/センチメンタル・ヨーコ
前野曜子
・ワーナーブラザーズパイオニアレコード L-1155
1974.4.25 ゆうなぎ/誘惑
前野曜子
・ワーナーブラザーズパイオニアレコード L-1906
1976.11.21 帰らないで/リップ・スティクのテーマ
前野曜子 リッキー&960ポンド
・ワーナーブラザーズパイオニアレコード L-40A
1977.07.05告白・アイ・ラブユー/夢物語
前野曜子 リッキー&960ポンド
・東芝エキススプレス
1977.12.05抱きしめて/バイ・バイ・シティ
前野曜子 リッキー&960ポンド
東芝エキススプレス
1979.07.25 蘇る金狼のテーマ(サウンドトラック)/唇に微笑み心に拳銃
東映・角川映画 『蘇る金狼』 オリジナル・サウンドトラック
前野曜子
・キャニオンレコード C-146
1980.05.26 ユーアー・ラブ 〔日本語盤〕/テイク・ア・チャンス
角川春樹事務所・TBS提携作品 東宝映画 『復活の日』
前野曜子
・日本コロムビア AK62-AX
1980.10.05 野獣死すべしのテーマ/優雅なる野獣
東映・角川春樹事務所 映画 『野獣死すべし』
前野曜子 (コーラス・スキャット)
・日本コロムビア AK725-AX
1980.11.25 こんな時は/モーニング・ダンシング
ソポト国際音楽祭大衆賞受賞曲 (ポーランド主催)
前野曜子
・日本コロムビア AK727-AX
1981.04.20 ラブ・イズ・ミステリアス /イフ・アイ・ハヴ・ゴー・アウェイ
ライオン ワーナーブラザーズ提携映画 『スフィンクス』 イメージソング
前野曜子
・日本コロムビア AH50-AA
1981.07.20 星ふる夏/ジャスト・ライク・ユーアンドミー
前野曜子
・日本コロムビア AH133-A
1982.10.21 コブラ/シークレット・デザイアー (挿入歌)
フジテレビ系TVアニメ 『スペース・コブラ』 主題歌
前野曜子
・日本コロムビア AH148-A
アルバム
TWILIGHT 前野曜子MIRACLE BASKET/WINE LIGHT/CHATTANOOGA CHOO CHOO/カーニバルのように/LONG NIGHT/AFTER SUMMERTIME/愛の人質/MONDAY SCANDALS/TWILIGHT CIRCLE
HARF TIME 前野曜子CLOUDY MORNING/SAME OLD BLUES/Goodbye Mr Heartache/WATANABE /One Night show/I'm in Love/白い雨/TAKE A CHANCE/幻の星/深夜ジョッキー/ユー アー ラブ(復活の日のテーマ)
一・人・で(アローン)前野曜子星ふる夜/ジャズ・シンガー/さようならの紅いバラ/ジャスト・イルージョン/別れの朝/マイ・ライフ/ロング・ディスタンス/Just Like You & Me/再会にKiss
★ペドロ&カプリシャス初代ヴォーカルの前野曜子さんのソロ・アルバム。「別れの朝」や「紅いバラの」別ヴァージョンを収録。
蘇える金狼~サウンドトラック 前野曜子蘇える金狼のテーマ / 汚れた英雄 /俺に墓はいらない /非情の標的 /無法街の死 /野獣死すべし/優雅なる野獣/唇に微笑 心に拳銃
スペースコブラ オリジナル・サウンドトラックスペースコブラ」エンディング・テーマ
~シークレット・デザイアー
★前野曜子のボーカル以外は割愛。
1983年11月13日 NHK総合テレビ 『魅惑のファンタジー』 ~ 前野曜子のバージョン(生前最後の映像のバージョン)
公開 1980年10月4日 『野獣死すべし』
前野曜子本人 (カウンター女性) 出演シーン。
松田優作主演の角川映画。
前野曜子の歌は、
「蘇える金狼のテーマ」 「汚れた英雄」 「俺に墓はいらない」 「非情の標的」 他、全8曲が流れる。
群を抜く歌唱力は圧巻。。
右画像は 『蘇える金狼』 オリジナルポスター ⇒
★画像 ↓ はクリックで拡大設定です。




アメリカ時代、帰国後のドサ周り、自信のバンド結成を伝える。
暗い店内にスポットが走ってステージを照らす。大きな双眸をアイシャドーで隈どった歌手が4年も前のヒット曲『別れの朝』を歌い出した。
ここは東京・六本木のはずれ『リビエラ』というナイトクラブ。数組のカップルは語り続け、ステージを見ようともしない。
女性歌手は懸命に歌ったが、終わったときにはお義理のような拍手が鳴った。
客は歌手があの前野曜子(27才)と気づかない。
小悪魔と呼ばれていた曜子が突如〝ペドロ&カプリシャス〟を飛び出し渡米したのは昭和47年11月だった。
そのため〝ペドロ〟は解散し、のち高橋まりを入れて再出発したが、曜子はどうしていたのか。
黒人歌手アーノルド・スコットを追ったと当時人々は語った。
「彼とのこと?随分古い話ね…」ステージをおえた曜子はもの憂げにつぶやいた。
「ペドロをやめて、ロサンゼルスに飛んでから、きょうまでのことは私にとって夢みたいなもの…そう思わざるを得ないんだなあ…とにかく空白にして何も思い出したくないんです」
水割りウイスキーを一気に2杯飲んでから語り出した。ウエスト・ハリウッドのモーテル、家賃165ドルの部屋に、ひとりで住んだ。
「そこはスラム街。昼間でもひとりで歩けない。でも安いからガマンして、おもにディスコで深夜まで仕事をしました」
胸の中にアーノルド・スコットのことが燃えたぎっていたから、異郷の苦しい生活にも耐えられたのか。
アメリカでいったい何が…
昭和45年9月、2度目の日本公演を終えてアーノルド・スコットが帰国するとき見せた曜子の激しい悲しみようは、今でも語り草になっている。しかし、いま、彼女は低くつぶやくだけだ。
「彼とのことは、いろいろ言われたけど、私が彼を崇拝していただけ。私の音楽に彼のフィーリングがぴったりだった。ただ、それだけですよ…」
渡米4ヶ月たらず、彼女は心身とも限界に来て、よろめくように帰国した。そしてボーカル歌手として独立したが、昨年9月まで地獄のような日々がつづいた。ドサまわりだ。彼女の元マネージャー、三橋精美氏は語る。
「ソロは向かなかったのですね。彼女について地方のキャバレーによく行きましたが、彼女はよく、バンドのうしろで、だまって涙を流していた。譜面も読めない、演歌専門のバンドばかりで、彼女がエイト・ビートを歌うのですから、見ていて、かわいそうでした。酔客相手だし…」
しかし、再起すべく、昔の音楽仲間、木村俊雄氏をリーダーに、〝マスカレード〟というバンドを編成した。「私がつけた名前。仮装行列って意味。ぴったりでしょう?」前野曜子は、この話題になるといきいきと瞳を輝かした。
「スターになろうなんて野望はない。音楽好きのプロの集まり。私はスターのプライドなんてはじめからなかった。歌が好きだから歌っている。それで十分!」アメリカでいったい何があったのか。彼女は大人になった。
女として、愛憎を乗り越えた強さが彼女の寂しい日々に、鮮烈な色彩をそえている。「結婚するなら、きっぱりと歌はやめます。この4年間好きな人もいたけど、燃えなかった。私は、じっくり考え、だんだん好きになってパッと燃えるタイプなの」
かつての恋もそうだった、と言いたそうに彼女は遠くを見つめて薄く笑った。
by cress30 | 2004-10-09 22:21 | ●前野曜子(初代カプリシャス)




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