2004年 09月 23日
山崎ハコ 全作品 2
1990.02.07
ANOU/霧の朝
17th 1990.02.23 SA・SU・GA (流石)
1.ブリキのマーチ
2.黒い翼の天使
3.ANOU
4.Don't cry my love
5.ベンジャミン・パラダイス
6.硝子のピノキオ
7.霧の朝
8.さ・す・が
9.城
10.夢荒野
1990.4.25 日本詩集-遠い町 遠い空
1.この道
2.赤とんぼ
3.叱られて
4.待ちぼうけ
5.村祭り
6.浜千鳥
7.月見草の花
8.赤い靴
9.青い目の人形
10.月の砂漠
11.花かげ
12.花嫁人形
13.平城山
14.友を送る歌
1990.08.29 ベスト ハコ
気分を変えて/ハーモニカ吹きの男/幻想旅行/港O U T/鍵とコイン/ララバイ横須賀/流れ酔い唄/サヨナラの鐘/本牧750c.c/ジプシーローズ/二日酔(い)/橋向こうの家/織江の唄
1990.10.26
気分を変えて
サヨナラの鐘
1991.09.19 THT BEST
気分を変えて/ハーモニカ吹きの男/幻想旅行/港 OUT/鍵とコイン/ララバイ横須賀/流れ酔い唄/サヨナラの鐘 /本牧750cc/ジプシーローズ/二日酔い/橋向こうの家
18th 1991.12.16 流行歌が聞こえる
1.ベイシティを流れて
2.港まで
3.あばずれ
4.AGAIN TO ME
5.セイディア
6.BAND
7.元気か
8.時代にはぐれて
9.親友みたいに
10.スクリーン
1992.05.21
蛍
HOLIDAY
19th 1992.05.21 メンフィスまで
1.メンフィスまで
2.ブラック・テトラ
3.HOLIDAY
4.LOCO・MOTION,FARMER
5.蛍
6.風来BOY
7.ミッドナイト・カウボーイ
8.ブギウギ・ハウス
9.エイリー・アン
10.Blue Earth
11.LONELY ROAD
1992.11.21 for your Good Day
織江の唄/気分を変えて/二日酔い/本牧750c.c./ジプシーローズ/流れ酔い唄/橋向こうの家/幻想旅行/ララバイ横須賀/サヨナラの鐘
1994.09.21
アカシアの雨がやむとき
今夜は踊ろう
セルフ 1994.09.21 十八番
1.アカシアの雨がやむとき
2.今夜は踊ろう
3.みんな夢の中
4.上を向いて歩こう
5.再会
6.東京ブギウギ
7.圭子の夢は夜ひらく
8.さらば恋人
9.本牧メルヘン
10.時の過ぎゆくままに
1995.05.24
私が生まれた日
天使の微笑み
20th 1995.05.24 私が生まれた日
1.未来の花
2.私が生まれた日
3.都会の小鳥
4.夏に来た子
5.風と空のように
6.三日月
7.天使の微笑み
8.夕陽
9.ショーウィンドウ
10.歩道橋
セルフ 1995.09.27 ハコのお箱
1.望郷
2.橋向こうの家
3.ヨコハマ
4.歌いたいの
5.白い花
6.冬の東京
7.気分を変えて
8.綱渡り
9.水車の都
10.織江の唄
11.夢
12.私が生まれた日 (サウンドトラック・バージョン)
13.呪い
全て新録音
1996.06.10
たとえばジャニスのように.
回転木馬
口笛の歌
21st 1996.06.21 唯心
1.夏の挽歌
2.たとえばジャニスのように
3.五月の薔薇
4.回転木馬
5.時計
6.口笛の歌
7.ちぎれ雲
8.外は雪が
9.老女の夢
10.鴎島
1996.11.21 山崎ハコ ベストアルバム
飛びます/望郷/綱渡り/白い花/ヨコハマ/ジプシーローズ/水割り/幻想旅行/織江の唄/ララバイ横須賀/気分を変えて/サヨナラの鐘
1997.02.10
たどりついたらいつも雨ふり
夕陽が泣いている
1997.05.25
わっしょいニッポン
日本小町
1997.08.25
たずね人-冒険者-
夕陽に赤とんぼ
2000.10.12
1.希望 歌/室井箱(滋)
2.希望 歌/山崎ハコ
ミニ 2001.11.28 飛びます・・・17歳
1.許されざる恋
2.捨てた友達
3.飛びます
4.男と女の部屋
1974年に録音された未発表音源。
2001.12.24 山崎ハコ Dear My Songs
望郷/橋向こうの家/ひとり唄/うちと一緒に/白い花/ヨコハマ/水割り/向かい風/ききょうの花/帰ってこい/綱渡り/呪い/きょうだい心中/心だけ愛して/サヨナラの鐘/ 織江の唄/ばいばいことば/流れ酔い唄/さくら/旅路/てっせん子守唄/旅の人/水車の都/わたぼうし/ララバイ横須賀/ヨコハマ・アンバランス/ペンフレンド/歩いて/夢/飛びます/今日からは
2枚組
2002.08.15
こころの花
織江の唄
五木 寛之 大衆歌謡劇 「旅の終りに」
挿入歌
2002.08.21 Anthology 山崎ハコ best
歌いたいの/望郷/織江の唄/ひまわり/白い花/ヘルプミー/二人の風/オーディション/スコール/本牧750c.c.(ナナハン)/ヨコハマ/あの海に/呪い/桜の日/サヨナラの鐘/気分を変えて
2002.08.28
1.やさしい歌
2.天の川で
3.流氷岬
2004.02.25
1.刹那の夢
2.稲の花
3.刹那の夢 ~劇場バージョン~(Bass;中村梅雀)
2006.03.01 ゴールデン☆ベスト
気分を変えて/サヨナラの鐘/幻想旅行/ララバイ横須賀/港OUT/本牧750c.c./ハーモニカ吹きの男/二日酔/鍵とコイン/橋向こうの家/てっせん子守唄/望郷/さらば良き時代/うちと一緒に/友を送る歌/硝子のピノキオ 祭りの女/一人静/一人の旅/光る夢/悲想/ロードレース/時は流れて/夢の川/着物/なわとび/夢色電車/空へ/桜/舞扇/私の幸せ
2枚組
2006.05.10
1.てっせん子守唄
2.ララバイ横須賀
3.海かがみ
セルフ 2006.06.24 歌いたいの
1.歌いたいの
2.望郷
3.白い花
4.刹那の夢
5.織江の唄
6.心だけ愛して
7.稲の花
8.ヨコハマ
9.私が生まれた日
10.流れ酔い唄
11.気分を変えて
12.サヨナラの鐘
13.歩いて
14.飛びます
15.会えない時でも (初収録)
7曲 (「飛びます」 「サヨナラの鐘」 「望郷」 「気分を変えて」 「歌いたいの」 「白い花」 「ヨコハマ」) を新たに録り直し、「会えない時でも」 を初収録したベスト盤。
2007.09.27 男と女の部屋 (小池書院)
作詞家 阿久悠 (2007年8月1日 没) 追悼として、上村一夫が画を書いての本が復刻出版。
新たに付録として山崎ハコのボーカル 『男と女の部屋』 のマキシが付いた。
附録CD 「男と女の部屋(新録音)」 作詞:阿久悠 作曲:唄 山崎ハコ
2008.02.20
1.BEETLE
2.SODASUI
ドキュメンタリー映画 『東京ソーダ水』 主題歌
TBS系 『徳光和夫の感動再会!"逢いたい"』 テーマ
2008.07.16 ベスト・コレクション
歌いたいの/望郷/さすらい/ひまわり/白い花/ヘルプミ/二人の風/オーディション/サマータイムが聞こえる/スコール/ジプシーローズ/桜の日/サヨナラの鐘/気分を変えて/何度めかのグッバイ
22nd 2009.11.04 未・発・表
1.BEETLE (シングルバージョン)
2.ヨコハマ
3.白い花
4.織江の唄
5.新宿子守唄
6.あなたの景色
7.リンゴ追分 (オリジナル:美空ひばり)
8.横浜ホンキートンク・ブルース
9.気分を変えて
10.未来の花
11.会えない時でも
12.飛びます
13.BEETLE (アルバムバージョン)
デビューから35年を経た山崎ハコの“今”をリアルに表現したアルバム。「織江の歌」 「飛びます」 などの代表曲をギターで弾き語りしたセルフカバーを中心に、ゲストにcharを迎えた 「横浜ホンキートングブルース」 や 「ヨコハマ」 などライブや舞台で好評の楽曲を収録。
さらに、注目すべき点は デビューアルバム 『飛・び・ま・す』 のジャケット写真を今の山崎ハコに置き換えた撮影がされた部分。
裏ジャケの背景はデビュー当時とと同一場所である。
2010.04.15
1.山形・白鷹 おらだのふるさと
2.オリジナルカラオケ
3.男声用カラオケ
2011.01.19
あなたの声
おらだのふるさと
NHK「ラジオ深夜便」の2011年1月~3月に流れる深夜便のうたを山崎ハコが担当、書き下ろしました。
23rd 2012.03-.07 縁 -えにし-
独自の世界観で、根強い人気を誇る山崎ハコのテイチク移籍後初のアルバム。NHKラジオ『深夜便・深夜便のうた』の「あなたの声」や藤あや子へ楽曲提供した「新月」などを収録。音楽好きを唸らせる会心の一枚。独自の世界観で、根強い人気を誇る山崎ハコのテイチク移籍後初となるアルバム。
オリジナル書き下ろしの新曲や、スマッシュヒットしたNHKラジオ深夜便・深夜便のうた「あなたの声」、藤あや子へ楽曲提供した「新月」(セルフカヴァーバージョン)、阿久悠作詞の秘蔵楽曲「東京港町気分」
01. 縁
02 東京港町気分
03. 新月
04. 天使
05. お年頃
06. 人間100%
07. 桃肌ピーチスキン
08. Snow
09. 2011子守唄
10. 愛しき大地
11. あなたの声
1995年12月18日
朝日新聞
夕刊 関東版
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1975年10月、アルバム 『飛・び・ま・す』 でデビューしてから今年で35周年を迎えた山崎ハコがロフトに還ってくる。
Asagaya / Loft Aが来年初頭から始動させる実力派ミュージシャンのプレミアム・ライヴ 『VINTAGE A』のトップバッターが彼女なのだ。 『飛びます』、 『織江の唄』 、『ヨコハマ』 といった代表曲はもとより、『リンゴ追分』 や 『横浜ホンキートンク・ブルース』 といった秀逸なカヴァーまでが収録されたデビュー35周年記念アルバム 『未・発・表』 の話題を中心に、これまで歩んできた長く曲がりくねった道程、シンガー・ソングライターとしての矜持、山崎ハコという表現者の特異性について余すところなく訊いた。
──2009年10月にデビュー35周年に突入しましたが、今の率直なお気持ちから聞かせて下さい。
ハコ: 35年ってこんなに早いものなのかと。倍にしたら70年でしょう? 人の一生はもの凄く短いんだなと今急に思いましたけど。
デビューして20年経ったくらいまでは、周りのことなんて何ひとつ知らない売れないアイドルみたいでした(笑)。それから所属事務所が立ち行かなくなって以降の10年くらいは下積み生活が一気に来た感じですね。それまではセールス的な浮き沈みがあっても、立場的にまずいとかはなかったんですよ。
事務所さえあれば、ボロくても家があるようなものだから。それが、雨風を凌げる家を追い出されてのっぱらにひとりぽつんと立たされた。信念さえあれば、歌を唄い続けることはできると思うんですよ。でも、プロの歌手として唄い続けるための活動…つまりマネージャーがやっていた売り込みの仕事をやらないとプロとしては成立しないんですね。だから、裏方の仕事でも何から何まで全部自分でやるしかなかったんです。
──それはやはり、自分には歌しかないという覚悟があってのことですか。
ハコ: 外から自分を見なかったからこういうことになったんだなと大反省をしたんですね。デビュー以来、まさに“籠の中の鳥”状態で外の情報を一切入れないようにして育てられたのは確かなんです。何故なら、すぐ籠の外に出たがるから(笑)。高校生でデビューしてますから純粋培養だし、ホントに何も知らなかったんですよ。
親よりも長く一緒にいる事務所からすれば従順だし、操りやすかったんじゃないですかね。「自分たちの言うことを聞けばこの世界でずっと唄えるようにしてやる」という約束の下にデビューしましたから。そんな事務所がなくなって、自分が歌をやめると決意すれば山崎ハコという存在が日本の芸能界から消えてしまうわけですよ。
でも、18歳の山崎初子が昨日まで存在しなかった山崎ハコを誕生させて、その決意の表れが『飛びます』という歌だったんです。“どんなに苦しくても、歌を唄う自分がいればきっと大丈夫”みたいな大層な歌でデビューしたのに、このまま無責任に消えていいの? 山崎ハコってその程度の歌手だったの? って思ったらもの凄く悔しくなったんですよ。
──でも、だからこそこんなところじゃ終われないと思った。
ハコ: 役者さんたちが応援してくれたのも心強かったんです。「芝居で山崎ハコの歌を使うのがどれだけ重要なことか」、「一言もセリフがなくても、声が出ただけで泣いちゃうんだ」…そう言ってくれる小劇場の劇団の人たちが 「ハコちゃんには唄ってくれなきゃ困る」 っていろいろと助けてくれたんですよ。
役者さんの店で唄わせてくれたり、ギター持ちをして送り迎えをしてくれたり、家もない状況だったからカギを渡して「いつでも泊まりに来て」と言ってくれたり…みんな無償で私のために動き回ってくれたんです。何が彼らをそこまで突き動かしているのかと言えば、それはハコの歌なんですよね。
──ご自身の歌によって助けられ、奮い立たされたわけですね。
ハコ: 世間も知らずに真面目に唄ってきたことが自分では失敗だと思ったんですけど、脇目も振らずに純粋に唄ってきたことが大きな力になったんですね。事務所からは「君は商売にならない」と三行半を突き付けられたけど、役者さんたちは山崎ハコが貴重な存在なんだという一心でライヴハウスに連絡を取ってくれたり、駆けずり回ってくれたんですよ。
その時に“山崎ハコって凄いんだ、みんなをこれだけ動かしちゃってるんだ”と初めて自分を客観視できたんですね。それもすべて、真摯に歌と向き合ってきたからこそなんですよ。自分の歌が今日もちゃんとしていたかどうかが常に大事で、息を抜いていい加減に唄ったことは35年間で一度もないんです。
いつも磨り減るまで集中して唄う。山崎ハコって集中力の賜物なんですね。私、歌詞を見ると逆に集中して唄えなくなるんですよ。譜面台も広げないし、第一、そっちの世界に入ったら歌詞なんて見えなくなる。人の顔も余り見えないし、だからライヴハウスでも唄えたんじゃないかと思いますね。ホールから出発してますから、デビューして15年の間にライヴハウスは全国でたった5本しかやってなかったんです。その中にロフトや曼荼羅、屋根裏とかが入ってたんですよ。あとは全部ホールなんです。
──ライヴハウスからホールへとステップアップしていく通常のケースではないと。
ハコ: ライヴハウスはホールができなくなったら落ちぶれてやるものだと思ってましたね。今は全然違うことが判りましたけど。だから私、下積みを経験したことがなかったんですよ。でも、私は歌と向き合ってるだけだから、どこで唄おうと関係なかったんですね。私と歌との問題ですから。
自分の歌に対しては常に誠実であり続けてきましたね。心から湧き上がってこないことを唄うのはとってもイヤなんです。歌詞を見ないで唄うのはそういう面もありますね。歌詞を見ないと唄えなくなっちゃったの? って思うし、歌は歌詞をなぞることではないですからね。その気持ちは35年間変わりません。
──音楽を生み出す表現者とそれを広める媒体、音楽を享受する聴き手の在り方も激変した35年だったと思いますが。
ハコ: お客さんと唄う側の間に立って音楽を広めていく人たちの情熱が稀薄になってきたのは感じますね。私がどんな状況に置かれても現役でいられるのは、今も情熱が消えてないからだと思う。
情熱がそのままだから、歌もそのままでいられるんですよ。一般的に言って、デビュー前後の情熱と芸能界に揉まれてからの情熱は質が違うと思うんですけど、私の中の情熱は同じ勢いと色のままなんです。
──聴き手の歌に対する飢餓感みたいなものもだいぶ変わってきましたよね。
ハコ:全然違いますね。それも情熱の質の変化があると思います。私は今もよく人の芝居を観るんですけど、10代の頃からアンテナをビンビンに張って面白い音楽や芝居を探してましたからね。
私がデビューした頃はみんなアンテナを張り巡らせて探してましたよね、新しい表現者を。
今の10代の子たちも新しいものをキャッチしてると思うんだけど、私が10代だった頃は独自のものを探す上で隣りの人と手を組んだりはしなかった。群れないで突っ張ることにステイタスがありましたからね。当時、ステージで「今度は友達と来てね」と私が言っても、ハコの音楽は友達に教えたくないって人が多かったんです。
そうすると、そこで止まっちゃうからお客さんが全然増えないわけですよ(笑)。そこはもうちょっと群れてくれないかと思いましたけど(笑)。
──ハコさんの音楽は暗くて、熱心に聴いてる人は変人だという妙な先入観を持たれる風潮もありましたよね。
ハコ: 軽薄短小な80年代は完全にそんな感じでした。私は75年の10月にデビューしたので、いい時は4、5年の間だけだったんですよ(笑)。
当時はまだ“ネクラ”って言葉が流行ってなかったから。79年に私が『オールナイトニッポン』のパーソナリティをやった時はまだ暗いことにステイタスがあったんですけどね。でも、昔、渡辺えりさんが「その暗さがいいんじゃないの!」って言ってくれたことがあるんですよ。
そこではたと気づいたんですね。私が自分の歌を愛さなければ、ファンのほうがもっと肩身が狭くなるって。
──代表曲を今の歌声で録り直したデビュー35周年記念アルバム『未・発・表』を聴くと、35年間という歳月を経てもなお歌の鮮度が失われていないし、選ばれし言葉が時代に淘汰されずに今も激しく脈打ちながら生きているのを感じますね。
ハコ: 私は表現者ですから、すべての歌詞が“いい言葉だな”と感じさせないといけない。それは常に思っています。ただ、私の場合は言葉よりも情景が先に浮かぶんです。頭に描いた絵を見たくて唄ってるんですよ。
その絵を映写機に映し出すようにメロディや言葉があるんですね。集中しないとその絵が見えないし、真摯に向き合わざるを得ないんです。
──ハコさんの歌が映像喚起力に優れているのは、雨に濡れた情景を描いた 『ヨコハマ』 一曲を聴いてもよく判りますね。
ハコ: 『ヨコハマ』 も景色で唄ってますよね。唄ってる時は景色が見えるんですよ。唄ってる時しかその景色は見えない。
──しかも、唄い続けている限りはその絵が完成することはないんでしょうね。
ハコ: ないですね。私が思い描いた絵のままじゃなくてもいいんですよ。
聴いた人が勝手に描いた絵でいいし、何かが伝わって見えたかどうかが大切なんですね。
ステージと客席の間の上のほうに見えないスクリーンがあって、私は映写機になってそのスクリーンへ向けて唄う。そこに埃や光の粒子がこぼれて、それがお客さんの頭上に降り注いで何かを共有できたらいいなと思うんです。
──美空ひばりさんの『リンゴ追分』のカヴァーも、津軽平野にぽつんと突き出た岩木山を空っ風が吹き抜けて、リンゴの花びらが宙に舞う凍てついた北国の情景が目に浮かびます。
ハコ: 『リンゴ追分』 はひばりさんに聴いてもらって、ひばりさんも気づかなかった景色を見せたいと思って唄ってるところがありますね。セリフの部分は訛りまで忠実にやってるんですよ。
最初は主人公の女の子に感情移入して唄っていて、スキャットの部分でブルースになると一本のリンゴの木に魂が乗り移って女の子を見てるわけですよ。それがまた歌に戻って、最後は木の人生をも見る。木は土に還ってまた新しい芽が出ると。そんな情景の移り変わりを北国の風みたいに唄いたくて、ずっとオクターヴを上げて唄おうと思ったんです。
──本作がコロムビアからのリリースというのも、ひばりさんとの不思議な縁を感じますね。
ハコ: それもあって、是非カヴァーしたいと思ったんですよ。カヴァーしたいとひばりプロダクションにお手紙を書いて、ひばりさんのご子息である加藤和也さんにも直接お会いしたんです。
島倉千代子さんに楽曲提供をしていたので、以前から面識はあったんですけどね。私のカヴァーはセリフ以降をブルースにしたと和也さんに伝えたら、「『リンゴ追分』ってブルースですよね?」と仰ったんですよ。和也さんは若い頃にブルース・シンガーの大木トオルさんの付き人をしていたし、ブルースやフォークが大好きなんですよね。
──ということは、『リンゴ追分』の後に『横浜ホンキートンク・ブルース』が来るのはごく自然な流れなんですね。
ハコ: 曲の並びを考えたのは全部私なんですよ。あと、ジャケットのデザインもね。
デビュー・アルバムの 『飛・び・ま・す』 のジャケットを意識した感じにして。
『飛・び・ま・す』 の裏ジャケットは海を背にして私が睨んでる写真なんですけど、『未・発・表』の裏ジャケットも同じ葉山の海を背に撮った写真なんですよ。
いつもライヴを撮ってくれているカメラマンにジャケットをお願いして、『飛・び・ま・す』のジャケットを見て構図を確認しながら撮ってもらったんです。ミュージシャンのコーディネートも私がやって、Charには自分から電話したんですよ。何から何まで私が手掛けた自信作なんです。
──Charさん、島村栄二さん、ミッチー長岡さん、エルトン永田さん、安田裕美さんが参加した『横浜ホンキートンク・ブルース』と『気分を変えて』のファンキーなセッションは本作における大きな聴き所のひとつですね。
ハコ: あのセッション、いいですよね。アルバムの宣伝文句で「古さを感じさせない」ってよく言うでしょう? でも、私の場合は「新しさを感じさせない」のが売り文句なんです(笑)。
今回はジャケットにも写っている35年前のギルド・ギターを弾いてるんですけど、ジャックがないので拾いマイクじゃないと演奏できないんですよ。だからコンサートでもハウっちゃって音を出すのが難しいんだけど、スタジオなら上手くできると思って。
──過去に2作ほど代表曲を録り直したベスト・アルバムを発表されたこともあるし、本作でも『飛びます』はもとより『織江の唄』や『白い花』といった珠玉の名曲が新たに生まれ変わった形で収録されていますが、これはボブ・ディランのように今在る姿がベストという考えからなんですか。
ハコ: 過去のベスト・アルバムに関してはレコード会社の意向もあったんですよ。
今回は“こういうふうにしたい”という私の強い意向を安田さんに伝えてアレンジを固めました。とにかくもの凄い量の注文をしましたよ。それが安田さんの役目ですからね(笑)。
──公私ともにパートナーである安田さんだからこそ成し得た役目なんでしょうね(笑)。
ハコ: 『織江の唄』 も 『白い花』 も、基本的にオリジナル・ヴァージョンのアレンジを意識したんですよ。マスタリングの現場も自分で行って、エンジニアの方に当時の音源を聴いてもらったんです。
「こういうふうに作りたいんですけど」 って。昔の音源ってヴォーカルが大きいんですけど、そのまま大きくしてもらったんですよ。
──シンプルだけど温かみのある生音が今回の音作りのコンセプトだったんですか。
ハコ: 『飛・び・ま・す』 みたいに作りたいと思えば自ずとそうなりますよね。35年経って同じ砂浜に立てるのか、心もすべて出発点に立てるのかがポイントだったんです。
『未・発・表』 と言っても、過去に出した曲ばかりじゃないかと思われるかもしれないけど、自分の意志を貫いて自分の好きな音で録れたのはこのアルバムしかないんですよ。
『リンゴ追分』 もそうだし、『横浜ホンキートンク・ブルース』 なんて25年以上前から唄ってるのに一度もレコーディングしたことがなかったんです。
ライヴでしか聴けない歌だったんですよね。そういう歌はまだいっぱいあるんですけど、私は横浜からデビューしたし、『横浜ホンキートンク・ブルース』 は今回是非入れておきたかったんです。
──『横浜ホンキートンク・ブルース』は松田優作さんや原田芳雄さんによる名演とはまた違った、ハコさんのブルース・フィーリングが存分に愉しめるカヴァーですよね。
ハコ: 昔、原田芳雄さんが「いつかハコがこの曲を絶対に唄うよ」って言ってたんですよ。最近お会いした時に「やっぱりな」と言ってましたけど(笑)。
──ハコさんにとって横浜とはやはりホームグラウンドなんですよね。
ハコ: 私の歌の出身地は横浜なんですよ。最近出来た歌は東京出身なんですけどね。
──『BEETLE』 とかですか。
ハコ: そうです。東京にいると、たまに田舎へワープするように飛んでいきたいと思うことがあるけれど、都会で生きてる私の鎧なんてカブトムシ程度のものなんですよね。
子供の頃に山へカブトムシを捕りに行った時、いつもそこに大分のばあちゃんとじいちゃんがいたことを思い出すんです。あと、幼稚園の頃からずっと飼っていたちっちゃい犬のこと。
私はその犬とふたりだけで暮らしていて、先に横浜に住んでいた両親から 「中学を卒業したらこっちへ来い」 と言われていたんです。
私は行きたくなかったんですけど、その犬がいきなり死んだんですよ。それで横浜へ行くことにしたんですね。“これは横浜へ行けって言ってるわけ?”って思いながら。その犬やじいちゃん、ばあちゃんといった私の人生で重要な人たちの写真が『未・発・表』のブックレットに掲載してあるんですよ。
あと、高校のクラスメートがデビューするにあたって手編みのマフラーをくれたんですね。それをデビュー当時ずっと巻いてたんです。そのマフラーを巻いた、ボツになったポスター写真みたいなのも載ってます。
──『あなたの景色』で歌舞伎役者の中村梅雀さんがベースを弾いているのもトピックのひとつですね。
ハコ: 私が命名した“松島永安梅”(しょうとうええあんばい)というユニットに梅雀さんが参加してるんですよ。“松”は松原正樹さん、“島”は島村栄二さん、“永”はエルトン永田さん、“安”は安田さん、“梅”が梅雀さんなんです。
梅雀さんとは芝居で知り合ったんですね。私のことは知ってくれてましたが、芝居でギターを弾く安田さんのことは知らなかったみたいなんです。
周りから「安田裕美って凄い人なんだよ」って聞いたらしくて、次の稽古には自分が中学の時に録ったデモ・テープを「是非聴いて下さい」って安田さんに渡してましたよ(笑)。全部ひとりで録った多重録音のテープで、ご本人はミュージシャンになりたかったそうなんですね。
──かつては 『流れ酔い歌』 や 『心だけ愛して』 といった深い情念が渦巻いた歌が多かったハコさんですが、本作で言えば 『未来の花』 や 『会えない時でも』 といった大きな愛で包み込んだ世界観の歌が本作では目を引きますね。
ハコ: 確かに、今までそういう歌は少なかったですね。『未来の花』は割と昔の歌なんですけど、その2曲は意図的に入れたいと思ったんです。 『未来の花』 で唄ってることは私のポリシーでもあるんですよね。
自分はもう生まれてこない、生まれ変わらないと決めてるんです。子供もいないし、山崎ハコは一代で終わります。思い残すことのないように歌を唄い続けたいんですよ。
いつが最後になるか判らないし、明日になってもう唄えなくなっても悔いが残らないように、羽根をどれだけ抜いてでも真摯に唄い続けなければと思ってます。仮に最期のステージがロフトだったとして、「あのライヴは酷かったね」と言われたくないですから(笑)。
『会えない時でも』は等身大の私ですね。動物の世界では弱肉強食が基本なんだろうけど、人間は動物と違って理性がある。殴り殺してやりたいと思うようなことがあっても、理性が克てばそんなことは絶対にしない。人の痛みを無視するところから戦争や殺人は起こる。だから、常に相手の立場になって考えればホントにいい社会になると思うんです。よくばあちゃんが言ってましたね。「人に迷惑を掛けてもいいよ。どうせ自分も同じ目に遭うんだから」って。
──まさに“情けは人の為ならず”ですね。
ハコ: そういうことですね。やっぱり、お天道様はちゃんと見てるんですよ。歌手として路頭に迷った時、歌い続けたいのか、そうじゃないかを自分に問い掛けたんです。その答えは“歌い続けたい”だった。だとしたら言い逃れは不要、一心不乱に唄うだけですよね。
ハコの歌は暗くて悲しいからボロボロ泣いちゃう人も多いだろうけど、私は九州女だから暗さに留まらない這い上がろうとする意志みたいなものが歌の中にあると思うんです。だから、私の歌を聴いてハラハラ泣いた後に“さぁ、明日からまた頑張ろう!”って思ってくれるのが理想ですね。もうひとつ理想を言えば、親子でライヴに来て欲しいです。
──今後、ハコさんが歌を通じて伝えていきたいのはどんなことですか。
ハコ: 人間の面白さですね。歌なら男にもなれるし、少女にも老女にもなれるし、いろんな人間を演じられる。それが凄く楽しいんですよ。
役者でも演じられる範囲は限られるでしょう? 歌の中の登場人物がいっぱいいれば全部声を変えたりして、いろんな人間の面白さやおかしさを歌で表現してみたい。私、ひとりでロック・バンドをやれって言われてもできそうな気がするんですよ。
私の頭の中にはドラムやら何やらいろんな楽器が鳴ってますし。阿佐ヶ谷ロフトAでのライヴも、アコースティックなロックをやりますよ。今はとにかく吹っ切れて潔いので、期待していて欲しいですね。ウジウジした歌を地団駄踏んででもウジウジ唄う、そんな潔くない潔さがありますから(笑)。
夜のストレンジャーズ('09年12月号) 大晦日スペシャルインタビュー
by cress30 | 2004-09-23 12:20 | ★山崎ハコ