ポール・マッカートニー 全シングル・アルバム 1

Last Up Dated:2016.06.10

b0033699_217525.jpgポール・マッカートニー
ビートルズの元メンバーとしてジョン・レノンとのコンビ(レノン=マッカートニー)で代表曲の多くを手がけた。

ビートルズ解散後は、ソロの他、ウイングスのメンバーとして活躍。ビートルズ時代から現在に至るまで、バンドでの演奏では主にベースを担当している。ベーシストとしての評価は非常に高く、彼の弾くメロディアスなベースラインは、後のロックバンドのベーシストに多大な影響を与えたと言われる。




1st 1970.04.17 マッカートニー
b0033699_1630922.jpgラヴリー・リンダ/ザット・ウッド・ビー・サムシング/バレンタイン・デイ/エヴリナイト/燃ゆる太陽の如く~グラシズ/ジャンク/男はとっても寂しいもの/ウー・ユー/ママ・ミス・アメリカ/テディ・ボーイ/シンガロング・ジャンク/恋することのもどかしさ/クリーン・アクロア
◇ポールのソロ・アルバム第1作。すべての歌と演奏をポールひとりで担当し(ごく一部だけ彼の妻リンダが参加)、自家製の味がぎっしり詰まった作品。当時の期待は高かったが、「Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)」 は、レパートリー中もっとも色あせない魅力を持つ1曲として今なお人気があり、ビートルズ時代のどのナンバーと比べてもひけを取らない。


d0022648_17384852.jpg1971.02.20
アナザー・デイ/オウ・ウーマン、オウ・ホワイ
ビートルズ解散後におけるポール初のソロ・シングルとして発売された。リンダ・マッカートニーがコーラスで参加している。「日」をタイトルとした曲として、ビートルズ時代の「イエスタデイ」からこの「アナザー・デイ」そしてウイングスの「トゥモロウ」に連なっている。

ポールマッカトニーソロ名義 1stシングル



2nd 1971.05.28 ラム
b0033699_16281619.jpgトゥ・メニー・ピープル/3本足/ラム・オン/ディア・ボーイ/アンクル・アルバート~ハルセイ提督/スマイル・アウェイ/故郷のこころ/ モンクベリー・ムーン・デライト/出ておいでよ、お嬢さん- Eat At Home/ロング・ヘアード・レディ/ラム・オン/バック・シート
◇厳密に言えば本作はポール単独のソロアルバムではなく、ポールとリンダ・マッカートニー夫妻のコラボレーション。アルバム全体としてはどことなく奇妙に感じられる。まるで2人が人里離れた農場に少々長居しぎたかのようだ。もちろん、リスナーの期待が問題なのだ。リスナーは世界を揺るがすようなアルバムを待ち望んでいたが、ポールはただ気楽にアルバムを作ろうとして、そういう風に(つまり、気楽に)とらえれば、本作をとことん楽しめる。



d0022648_17391957.jpg
1971.09.25
出ておいでよ、お嬢さん/スマイル・アウェイ

ポール・マッカートニーのセカンド・アルバム 『ラム』 からの第2弾シングル。日本限定リリース。

2ndシングル



b0033699_422541.jpg3rd 1971.12.07 ワイルド・ライフ
マンボ /ビップ・バップ/ラヴ・イズ・ストレンジ/ ワイルド・ライフ /サム・ピープル・ネヴァー・ノウ /アイ・アム・ユア・シンガー/ビップ・バップ・リンク/トゥモロウ/ディア・フレンド/マンボ・リンク
◇富、成功、幸せな結婚生活、そして途方もない才能に恵まれたポール・マッカートニーは、何もすることがなくなって本作 『Wild Life』 を制作した――そんな虚飾に満ちた匂いのために、この興味深いアルバムは長いあいだ嘲笑の的にされていた。
わずか3日間で録音された本作とはいえ、そんな風に叩くのは不当ではないだろうか。ベスト・トラックは、このアルバム全体に影を落とす生々しいバラード 「Dear Friend」 である。ここでポールは、不幸な形で終わったジョン・レノンとの友情と、みずからの作り出した1960年代という時代の終焉(しゅうえん)について歌っている。



d0022648_17393748.jpg
1972.03.25
アイルランドに平和を
アイルランドに平和を (version)

ウイングス初のシングルとして、同年2月25日に発売された。またヘンリー・マッカロクを加えた「第2期ウイングス」で最初にレコーディングされた曲でもある
3rdシングル


d0022648_1827723.jpg
1972.06.25
メアリーの子羊
リトル・ウーマン・ラヴ


4thシングル


d0022648_1828440.jpg
1973.01.20 
ハイ・ハイ・ハイ
C・ムーン


5thシングル


4th 1973.05.11 レッドローズ・スピード・ウェイd0022648_1639283.jpg
ビッグ・バーン・ヘッド /マイ・ラヴ - /ゲット・オン・ザ・ライト・シング/ワン・モア・キッス/リトル・ラム・ドラゴンフライ/シングル・ピジョン/ホエン・ザ・ナイト/ ループ - /メドレー (ホールド・ミー・タイト~レディ・ダイナマイト ~ハンズ・オブ・ラヴ~パワー・カット)
◇バラの花をくわえたポールのジャケット写真を見れば分かるとおり、ポール・マッカートニーのアルバムだがウイングスだ。もう少し具体的に言えば、こぢんまりとした佳曲を「Hey Jude」の規模にふくらませるというポールの70年代の得意技に焦点を当てた作品なのである。もちろん、スケール・アップさえすれば「Hey Jude」のような名曲に仕上がるとは限らないのだが、ポールはそのリスクを恐れなかった。あるいは、リスクの存在に気づいていなかったのかもしれない。
最大の聴きどころは激甘チューンの 「My Love」。マッカートニー夫人の性的魅力をテーマにした、柔らかな雰囲気を持つ陶酔的なバラードだ。アルバムの残りを占めるのは、華麗にプロデュースされた気だるいロック。時に甘く、時にウンザリさせられはするが、ポールらしさは全編にあふれている。




d0022648_18362067.jpg
1973.05.05 
マイ・ラヴ
ザ・メス (live)


6thシングル



d0022648_20581646.jpg
1973.07.20
007/死ぬのは奴らだ
アイ・ライ・アラウンド


7thシングル


d0022648_2183566.jpg
1973.12.20
愛しのヘレン
カントリー・ドリーマー


8thシングル



5th 1973.12.07 バンド・オン・ザ・ラン
d0022648_190395.jpgバンド・オン・ザ・ラン/ジェット/ブルーバード/ミセス・ヴァンデビルト/レット・ミー・ロール・イット/マムーニア/ノー・ワーズ/ピカソの遺言/1985年 Nineteen Hundred and Eighty Five
◇ポールのアルバムとしては5作目、ウイングス名義では3作目にあたる。全英、全米とも1位に輝き、大ヒットを記録した。前にメンバー2人が脱退したため、ポールとリンダ・マッカートニー、デニー・レインの3名で制作された。特にポールは1人で様々な楽器を演奏し、ドラムも叩いている。「バンド・オン・ザ・ラン」をラジオで耳にしたザ・フーのキース・ムーンが 『このドラムを叩いている(すごい)奴は誰なんだ!』 と口にしたエピソードがある。
イギリスのアルバム・チャートでは、リリースから半年以上経過した1974年の7月末から7週連続第1位を獲得し、トップ10内に計46週間もランクされるロング・ヒットとなった。アメリカの「ビルボード」誌アルバム・チャートでは、断続的に4週間第1位を獲得し、トップ10内に32週間ランクされ、1974年度年間ランキング第3位、「キャッシュボックス」誌でも、断続的に4週間第1位を獲得し、1974年度年間ランキング第2位を記録した。アメリカだけで300万枚以上のセールスも記録している。ビートルズ解散後、ポール・マッカートニーが最も成功したアルバムである。



d0022648_2110368.jpg
1974.03.20
ジェット
レット・ミー・ロール・イット


9thシングル


d0022648_21391780.jpg
1974.07.10
バンド・オン・ザ・ラン
ズー・ギャング(UK pressings)

10thシングル


d0022648_21504912.jpg
1974.12.01
ジュニアズ・ファーム
サリー・G

11thシングル


b0033699_16264848.jpg
1974.12.02
ウォーキング・イン・ザ・パーク・ウィズ・エロイーズ
A. Walking In The Park With Eloise
B. Bridge Over The River Suite
ザ・カントリー・ハムズ名義
12thシングル



6th 1975.05.30 ヴィーナス・アンド・マース
d0022648_19325021.jpgヴィーナス・アンド・マース/ ロック・ショー/歌に愛をこめて/幸せのアンサー/磁石屋とチタン男/ワインカラーの少女/ヴィーナス・アンド・マース(リプライズ) /遥か昔のエジプト精神/メディシン・ジャー/コール・ミー・バック・アゲイン/あの娘におせっかい/トリート・ハー・ジェントリー? ロンリー・オールド・ピープル /クロスロードのテーマ
◇ジミー・マッカロク(ギター)が加入し、5人体制で制作されたウイングス4枚目のアルバム。レコーディング開始から間もなくジェフ・ブリトン(ドラムス)が脱退し、後任としてジョー・イングリッシュが加入。ニューオーリンズとロサンゼルスで主にレコーディングが行われ、ライブツアーで演奏されることを強く意識した構成になっている。ニューオーリンズでのレコーディングは、アラン・トゥーサンが所有するシー・セイント・スタジオで行われ、トゥーサンもレコーディングにゲスト参加した。
前作 『バンド・オン・ザ・ラン』 のヒットの勢いを受け、本作も全米1位を記録。予約だけで200万枚を超える大ヒット。アメリカでは1位獲得後、アルバム・チャートのトップ100圏外にランク・ダウンするが、翌年のUSツアーが始まると再び、トップ100圏内にランキング。シングル発売された 「あの娘におせっかい」 も全米1位のヒットを記録した。



d0022648_2140693.jpg
1975.06.20
あの娘におせっかい
歌に愛をこめて

13thシングル


d0022648_21422141.jpg
1975.11.05
ワインカラーの少女
幸せのアンサー (やさしいアンサー)

14thシングル


d0022648_21411989.jpg
1975.12.20
ヴィーナス・アンド・マース/ロック・ショー
磁石屋とチタン男

15thシングル


7th 1976.03.26 スピード・オブ・サウンド
d0022648_20091.jpg幸せのノック /ザ・ノート・ユー・ネヴァー・ロウト/僕のベイビー /愛の証し/Wino Junko(ジミー・マッカロク/コリン・アレン) /心のラヴ・ソング/クック・オブ・ザ・ハウス/やすらぎの時 - Time to Hide (デニー・レイン)/ マスト・ドゥ・サムシング /サン・フェリー・アン / やさしい気持
◇バンドとしての個性を強調する為、ポール以外のメンバーにも全員それぞれボーカル曲が用意されており、収録曲の半数を占めている。 「ザ・ノート・ユー・ネヴァー・ロウト」「やすらぎの時」がデニー・レイン、「ワイノ・ジュンコ」がジミー・マッカロク、 「マスト・ドゥ・サムシング」 がジョー・イングリッシュ、 「クック・オブ・ザ・ハウス」 がリンダ・マッカートニーによるヴォーカルである。イギリスでは、2位止まりだったが、アメリカでは、全米ツアー中だった事で計7週間第1位に輝いている。


d0022648_2223763.jpg
1976.05.20
心のラヴ・ソング
クック・オブ・ザ・ハウス

16thシングル


d0022648_2283939.jpg
1976.08.20
幸せのノック
愛の証

17thシングル



ライブ 1976.12.10 ウイングスU.S.A.ライヴ
d0022648_703596.jpg◆1 メドレー:ヴィーナス・アンド・マース~ロック・ショー~ジェット/レット・ミー・ロール・イット/遥か昔のエジプト精神/メディシン・ジャー/ メイビー・アイム・アメイズド/コール・ミー・バック・アゲイン/レディ・マドンナ/ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード/ 007死ぬのは奴らだ -Live and Let Die◆2 ピカソの遺言/リチャード・コーリー/ブルーバード /夢の人/ブラックバード/イエスタデイ/幸せのアンサー/磁石屋とチタン男/ゴー・ナウ/マイ・ラヴ/あの娘におせっかい ◆3 幸せのノック /やすらぎの時/心のラヴ・ソング/愛の証し/ ワインカラーの少女/バンド・オン・ザ・ラン/ハイ・ハイ・ハイ/ソイリー
◇ワールド・ツアーは26都市で31公演を行い、ツアー全体では約60万人を動員するなど、大きな成功を収めることとなった。 本アルバムはそのアメリカ公演の音源の中からベスト・テイクを編集したもので、ビートルズ・ナンバー5曲を含めた全28曲が、LP3枚組で1976年3月〜5月のウイングスのアメリカ・ツアーの模様を収録している。


d0022648_8272627.jpg
1977.03.20
ハートのささやき (live)
ソイリー (live)

18thシングル


d0022648_21442039.jpg
1977.12.05
夢の旅人 (UK A-side)
ガールズ・スクール (U.S. A-side)

19thシングル


8th 1978.03..31 ロンドン・タウン
d0022648_7261326.jpgたそがれのロンドン・タウン/セーヌのカフェ・テラス/ アイム・キャリング/なつかしの昔よ/カフ・リンクをはずして/チルドレン・チルドレン/ガールフレンド/別れの時/ しあわせの予感/伝説のグルーピー/子供に光を/ネーム・アンド・アドレス/ ピンチをぶっ飛ばせ/モース・ムースとグレイ・グース
◇1977年2月にロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングを開始。5月からはヴァージン諸島に浮かぶ船で洋上レコーディングが行われたが、帰英後ジミー・マッカロクとジョー・イングリッシュがウイングスから脱退したため、"Girlfriend"や"Deliver Your Chirdren"など何曲かはポールとリンダ・マッカートニー、デニー・レインの3人によって完成した(当時リンダは産休に入っていたため、事実上ポールとデニー)。伝統音楽に関心が深いデニーの影響もあり、トラッド調の楽曲が多い。"Children Children"と"Deliver Your Chirdren"はデニーがリードヴォーカルを担当している。


d0022648_2145892.jpg
1978.04.20
しあわせの予感
なつかしの昔よ〜カフ・リンクをはずして

20thシングル


d0022648_22283529.jpg
1978.07.20
別れの時
子供に光を

21stシングル


d0022648_22433527.jpg
1978.11.05
たそがれのロンドン・タウン
アイム・キャリング

22ndシングル


d0022648_2249144.jpg
1979.04.20
グッドナイト・トゥナイト
デイタイム・ナイトタイム・サファリング

23rdシングル



9th 1979.06.20 バック・トゥ・ジ・エッグ
d0022648_7265722.jpgレセプション/ゲッティング・クローサー/今宵楽しく /スピン・イット・オン/アゲイン・アンド・アゲイン・アンド・アゲイン/オールド・サイアム・サー/アロウ・スルー・ミー/ ロケストラのテーマ /君のために /アフター・ザ・ボール~ミリオン・マイルズ/冬のバラ〜ラヴ・アウェイク /ブロードキャスト /ソー・グラッド/ベイビーズ・リクエスト
◇ウイングスのラストアルバムであり、オリジナルアルバムとしては7枚目にあたる。アメリカではこのアルバムからビートルズ時代から在籍したキャピトル・レコードを離れて、CBS配下のコロムビア・レコードに移籍した。 新メンバーのローレンス・ジュバー(ギター)、スティーヴ・ホリー(ドラムス)は、このアルバムのみの参加となってしまった。 プロデューサーには、ピンク・フロイドやエルトン・ジョンなどを手がけたクリス・トーマスを起用。


d0022648_1457369.jpg
1979.07.20
ゲッテイング・クローサー
スピン・イット・オン

24thシングル


b0033699_13452551.jpg
1979.10.20 
アロウ・スルー・ミー Arrow Through Me
Old Siam, Sir

25thシングル


1979.11.20 ウィングス グレイテストヒット Wings Greatest
d0022648_851473.jpg
Another Day アナザー・デイ
Silly Love Songs 心のラヴ・ソング
Live and Let Die 007 死ぬのは奴らだ
Junior's Farm ジュニアズ・ファーム/
With a Little Luck しあわせの予感
Band on the Run バンド・オン・ザ・ラン
Uncle Albert/Admiral Halsey アンクル・アルバート/ハルセイ提督
Hi Hi Hi ハイ・ハイ・ハイ
Let 'Em In 幸せのノック
My Love マイ・ラヴ
Jet ジェット
Mull of Kintyre 夢の旅人



※ウイングス解散後 ソロに

d0022648_1503874.jpg
1979.11.01
ワンダフル・クリスマスタイム
赤鼻のトナカイ

26thシングル


d0022648_22153519.jpg
1979.12.03
ワンダフル・クリスマスタイム
赤鼻のトナカイ (レゲエバージョン)




次のページ ↓ ↓ ↓ へ
[PR]

by cress30 | 2005-12-25 06:30 | ◆ポール・マッカートニー

<< ジョージ・ハリスン 2    ポール・マッカートニー 全シン... >>