●これがデビュー曲シリーズ①

イルカ1974年10月25日 クラウンからリリース

あの頃の僕は c/w 春 (作詞 作曲 伊勢正三)
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1974年『あの頃の僕は』でソロデビュー。翌1975年、かぐや姫・伊勢正三の作詞・作曲による『なごり雪』(元々はかぐや姫のアルバム「三階建の詩」に収録されていた曲)が大ヒットした。1977年から1980年にかけて絵本『ちいさな空』全4巻を発表した。夫はシュリークスで一緒に歌っていた歌手の神部和夫だが、イルカがソロデビューすると歌手を引退し、プロモーションに専念するようになった。
芸名の由来は、デビュー当時使用していたギターケースの形が海豚(イルカ)に似ていたからである。



テレサ・テン1974年3月1日 ポリドールからリリース

今夜かしら明日かしら c/w 雨にぬれた花
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1974年から日本での活動を開始、日本ポリドールと契約しアイドル歌謡曲路線の『今夜かしら明日かしら』でデビュー。だが、売れ行きが思わしくなかったため、演歌・歌謡曲路線に変えたところ、日本でのデビュー2作目となる 『空港』 『愛人』 などが大ヒット、 レコード大賞新人賞など多くの賞を獲得する。しかし、1979年、日本入国の際に友人の勧めでインドネシアの偽造パスポートを使用したことが発覚し、国外退去処分となる。その後再来日を果たすまでは、香港を活動の拠点にしていた。1983年の香港公演は中華圏では今でもDVDがどのCD屋でも売られている。1984年再来日。レコード会社を「トーラスレコード」に移籍、日本でリリースした『つぐない』、『愛人』がそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』が200万枚を売る大ヒットとなる。1984年から1986年にかけ、日本有線大賞及び全日本有線放送大賞の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞した。1980年代後半からは主に活動の拠点を香港に移し、1990年以降はパリに居住。天安門事件によるショックで表舞台での活動を減らした1990年代に日本をはじめとするアジア各国で二回ほど彼女の死亡説が流れたりもした(一度目は1990年5~6月に父親の葬儀への欠席をきっかけに病死説が、二度目は翌1991年4~5月に病死説・暗殺説が流れている。死亡説に対してはそれを否定する本人のコメントが新聞記事などに取り上げられた)。1980年代後半以降のテレサは演歌・歌謡曲というよりもJ-POP寄りで、飛鳥涼やZARDの坂井泉水らの曲も歌っているため、必ずしも演歌歌手とはいえない部分が多い。日本での最後のテレビ出演は、1994年11月に放送されたNHK『歌謡チャリティーコンサート』(仙台市にて公開録画)だった。


安全地帯1982年2月25日 キティーからリリース

萠黄のスナップ c/w 一度だけ
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1981年、井上陽水のバックバンドとして上京。1982年にキティレコード(現在のユニバーサルミュージック)と契約し、『萠黄色(もえぎいろ)のスナップ/一度だけ』でデビュー。1983年、サントリーワインのCMソングに起用された『ワインレッドの心』が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。 その後、「ワインレッドの心」 が最初のヒットになる。その後も 『恋の予感』や、『じれったい』、『夏の終りのハーモニー』等の楽曲を立て続けにヒットさせる。 ボーカルの玉置浩二の奇抜な衣装と圧倒的なボーカル、その他のメンバーによるハイレベルな演奏が支持を受け、1980年代を代表する人気グループの地位を不動のものにする。1985年には『悲しみにさよなら』でNHK紅白歌合戦出場を果たす。1986年には、神宮球場においては初となるコンサートを井上陽水と共に行い、大成功を収める。また、同じ年の12月にはアナログ盤にして3枚組みとなるアルバム「安全地帯V」を発売するなど、快進撃を続ける。1988年、香港コロシアムでのコンサートを最後に突然活動休止を宣言。主な原因として、6thアルバム「月に濡れたふたり」の出来映えに対して、玉置自身が強い不満を持っていたためとされる。


村下孝蔵1980年5月21日 CBSソニーからリリース

月あかり c/w 松山行きフェリー
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レコーディング中に亡くなった村下孝蔵のデビューシングルです。最近ではベストアルバムもリリースされており、彼の音源はいま尚活きています。
デビュー曲よれも82.2.25にリリースされた「初恋」が最初のヒットになり、この「月あかり」はあまり知られなかった曲です。


かぐや姫1970年10月25日 クラウンからリリース

酔いどれかぐや姫 c/w あわれジャクソン
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南こうせつ、森進一郎、大島三平の3人で『南高節とかぐや姫』としてのデビュー曲です。屈折の3年後の73年9月20日リリースの伊勢正三、山田パンダでのオリジナルメンバーでかぐや姫の名を不動にする「神田川」が大ヒットする。


吉田拓郎1970年6月1日 エレックからリリース

イメージの詩 c/w マークⅡ (作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎)
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フォークの神様と言われた吉田拓郎のデビューシングルです。シングル盤には収まらない演奏時間たったオリジナルトラックを録りなおしたトラック。35年あまり未CD化だったが2007年1月に「ベスト拓郎ヒストリー」で初収録された。拓郎の最初のヒットは72年1月リリースの「結婚しようよ」で当時のシングル売上げで50万枚という驚異的ヒットで拓郎時代が幕開けとなった。


さだまさし1973年10月25日 ワーナーからリリース

雪の朝 c/w 虹がかかったら
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二人組のフォークデユオ「グレープ」での『精霊流し』が全国的なヒットになり、一躍全国区となる。これがグレープのデビューシングル。ソロになってからも、『雨宿り(77.3.10)』、『関白宣言』、『道化師のソネット』、『防人の唄』など数々のヒット曲を生み出してきた。その叙情的で文学的な歌詞の世界は独自ものである。また、トークの軽妙さはテレビでもコンサートでもさだの大きな魅力となっている。 2006年10月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手であり、その回数は約3460回に達している。


矢沢永吉1975年9月21日 CBSソニーからリリース

アイラブユー,OK c/w セクシーキャット
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b0033699_17323360.jpg1972.12.20、伝説のロックバンドCAROLのリーダーとして「ルイジアンナ」でフイリップスレコードからレコードデビュー。
75年にグループ解散後、ソロデビューを果たしたのがこのシングルだ。矢沢永吉のデビュー曲にして、いまだに人気トップの楽曲である。
オリコンチャートでは最高位43位、100位までの登場回数も8回。


丸山圭子1972年11月20日 エレックからリリース

心の中の c/w 昨日あなたと (作詞 丸山圭子作曲 丸山圭子)
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この人のデビュー曲はあまり知られていない。大ヒットした「どうぞこのまま」がデビュー曲と勘違いされることが多い。このデビュー曲の「心の中に」はエレックレコードということもありヒットに繋がらなかった。
ただ一発ヒットで終わってしまったのが残念。現在も地道に活動しておりアルバムもインディーズからリリースしている。


長渕剛1977年5月21日 ビクターからリリース

雨の嵐山 c/w わたし春を待ってます (作詩・作曲:長渕剛 / 編曲:船山基紀)
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長渕にとっての初めてのレコード化音源であり、記念すべきデビュー曲であるが、本人の公式プロフィール上からは抹消されている。この曲に関しては、レコード会社主導で全てが進められ、長渕がスタジオを訪れた時はアレンジも含めてほぼ全てのレコーディングが終了しており、長渕は歌入れを行っただけである。アレンジ面では琴の音色が入れられ、一聴したところでは演歌とも思われるような曲調になっている。本来のヒットは「順子」で東芝に移籍してのヒットとなった。


荒井由実1973年7月5日 東芝からリリース

返事はいらない c/w 空と海の輝きに向けて (作詞 荒井由実 作曲 荒井由実)
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1972年4月に多摩美術大学に入学したユーミンは、この当時のアルファーレコードの代表者の誘いでリリースしたデビューシングル。プロドュースは元スパイダーズのかまやつひろしが担当した。期待をよそにわずか300枚の売上げに終わり、後に幻のデビューシングルと呼ばれるようになる。のちに1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売し、同曲をアレンジを変えて収録する。このシングルヴァージョンはシングルコレクションとBOX1972-1975で聴く事ができる。最初のヒットは「あの日に帰りたい」でユーミンが一躍ヒット街道を走ることになる。


井上陽水1969年9月1日 CBSソニーからリリース

カンドレマンドレ c/w 終わりがないのは(作詞作曲 井上陽水 編曲小室等)
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アンドレ・カンドレ名義のデビューシングル。1969年、RKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ!!11」で視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅録音しRKB毎日に持ち込む。放送され、数多くのリクエストを受ける。ただしリクエストのかなり多くは、陽水が友人にはがきを配って頼んだためのものだったという。
72年8月にリリースされた「傘がない」が徐々にヒットし始めて以降、「夢の中へ」「心もよう」と現在に至るシンガーを築く。


小椋佳1971年2月21日 ポリドールからリリース

しおさいの詩 c/w さらば青春 (作詞作曲 小椋佳 編曲:小野崎孝輔)
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小椋佳の記念すべきデビューシングル。第一勧業銀行勤務で米国支店時、1971.1.25にファースト・アルバム「青春-砂漠の少年」が本人の知らないところで発売される。アルバムは東宝映画「初めての旅」のモチーフとして使用され、その中からのシングルカットされた2曲が発売される。シングルヒットとしては74年1月にリリースされた「白い一日」。当時、井上陽水が大ヒットしていた「氷の世界」にも収録されて作曲した小椋佳のヴァージョンが注目された。小椋佳はジャケット写真に登場することはなく、顔すらわからないことで評判になった。


海援隊 1973年8月25日 エレックからリリース

恋挽歌 c/w しぐれ坂ブルース  (作詞 武田鉄矢 作曲 千葉和臣)
b0033699_3143919.jpgb0033699_156296.jpg海援隊のデビューシングルです。よく勘違いされる「母に捧げるバラード」はこのあとのセカンドシングル。海援隊というグループはときどきヒットを飛ばすのでシングルがいつリリースされているか、それほど周知されていないが、映画の主題歌としてうたわれた「恋不思議」など隠れた名曲が多い。゛も「贈る言葉」が彼らの代表曲だろう。


オフコース1970年4月5日 東芝からリリース

群衆の中で C/W 陽はまた昇る (作詞:山上路夫 作曲:BETTY DEAN)
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ジ・オフ・コースとして小田・鈴木・地主道夫での幻のデビューシングル。キャッチフレーズは美しいハーモニーをアピールする日本のカーペンターズ。
小田和正・鈴木康博・地主道夫らが、神奈川県横浜市の聖光学院高校時代にフォーク・グループを結成したのがオフコースの始まりである。1970年にデビュー。当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていた。当時から実力は評価されながらも長年ヒット曲に恵まれなかった。大ヒットはやっぱり「さよなら」だろう。このあたりからグループメンバーの不仲説が出てきて鈴木の脱退となる。


辛島美登里1984年3月21日 ビクターからリリース

雨の日 C/W 心の街 (作詞 辛島美登里 作曲 辛島美登里)
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ビクターからの辛島美登里事実上のデビュー曲。第26回ポプコンつま恋本選グランプリ曲。
本人の公式プロフィールでは本作のことは記されていない。
本人のヒットは90.1にリリースした「サイレントイブ」だろう。幅広くOL層から指示されロングヒットになった。


泉谷しげる1971年12月21日 CBSソニーからリリース

帰り道 C/W 義務 (作詞 作曲 泉谷しげる)
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泉谷しげるのデビューはエレックからのライブアルバム「泉谷しげる登場」だがシングルデビュー曲はCBSソニーからリリースされた帰り道。1971年10月8日渋谷東横劇場でのライブテイク。代表曲の「春夏秋冬」がデビュー曲と勘違いされることが多いがそれはセカンドシングル。これもライブ音源で1972年5月6日の日比谷野外音楽堂でのテイクがシングル化された。つまり泉谷しげるはシングルが2枚続けてライブ音源という珍しいパターンだった。


浜田省吾1976年4月21日 CBSソニーからリリース
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浜田省吾がソロデビューした記念すべきシングルが 「路地裏の少年」です。
事実上のレコードデビューは1974年、吉田拓郎ツアーのバック・バンドに愛奴として参加。拓郎が同年7月発売の「竜飛崎」は愛奴の演奏。
1975.5.1シングル「二人の夏」でレコードデビューも全く売れず惨敗。現在まで37枚のシングルと27枚のアルバムをリリースしている。

宇多田ヒカル1997年1月17日 センチュリーからリリース
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Close To You/Take A Little While
b0033699_413961.jpgヒカルのデビュー曲は「オートマチック」というのは正しくない。その2年前にキュービックU名義で本人ソロ歌唱でデビューしている。そのときは親子セッションだったため完全ソロ名義として東芝と正式契約し現在に至っている。


松山千春1977年1月25日 キャニオンからリリース

旅立ち c/w 初恋(作詞 作曲 松山千春)
b0033699_541813.jpgb0033699_20454762.jpg発売当時はまだ全国区ではなかった松山千春のデビューシングル曲。北海道では1位を獲得するものの以外ではそれほどヒットはしていなかった。
後に松山千春の名前を知らしめたのは「季節の中で」でTBSザベストテンにも出場し人気を不動にする。


はっぴいえんど1971年4月1日 URCからリリース

12月の雨の日/はいからはくち (作詞 松本 隆 作曲 大滝詠一)
b0033699_0152830.jpg記念すべきはっぴいえんどのテビューシングル。
リードボーカルは両面とも大滝。このグループのメンバーは日本の音楽シーンを築いたアーティストで構成されていた。ほんとんどレアなジャケ写。


沢田研二1971年11月1日 ポリドールからリリース

君をのせて c/w 恋から愛へb0033699_0451341.jpg
これがジュリーの初ソロ・シングル「君をのせて~ MY BOAT FOR YOU」です。この頃から沢田と萩原(ショーケン)は、それぞれの活動を展開していく。萩原が参加できるときはPYGとして、萩原が参加できないときには沢田研二と井上堯之バンド(またはグループ)として活動するようになる。1972年3月11日発売のセカンド・シングル「許されない愛」がヒットして、第14回日本レコード大賞歌唱賞、第5回日本有線大賞優秀賞を受賞する。

河島英五 1975.3.05 てんびんばかり
d0022648_857124.jpgホルサピエンスとしてのデビューがこの曲。名曲 「酒と泪と男と女」 はこのとき既に発表されている。2001年4月16日に死亡。シングル28枚をリリース。その一部を掲載。
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by cress30 | 2005-07-07 07:08 | ◆デビュー曲シリーズ

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